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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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50代の女性はいったいどれくらいの人が働いているんだろうか?どんな仕事をしているんだろう?アルバイトやパートが多いのだろうな…そんなことを思いながらいろんなサイトを探していると、次のような相談をみつけました。
50歳女性で、今までは主に、アパレル関係で販売員をしてました。
しかし勤めていたところが、倒産し、その後、飲食店などで働いていましたが、そこも不運にも倒産してしまいました。
一度は、事務職を!と簿記3級を取得したのですが、経験者しか一般にはこの年齢ではとられない為、それも都合がつきません。
現在、ハローワークなどに行っても、50歳以上の求人すらありません。(大阪市です)
確かに、家事・子育てにおわれ、スキルを身につけていなかったのがダメなのでしょうが、飲食店の働き口すらありません。
しかし、街を歩いてると、50歳以上の人でも働いてる人も沢山います。
何かいい方法はありませんでしょうか?
この女性は販売経験がちゃんとあります。簿記3級だって新たに取ってます。家事・子育てにおわれてスキルを身に付けていないと言っていますが、アパレル・飲食店でちゃんと接客・販売のスキルを習得しているはずです。ハローワークに行っても求人すらないというのですから、最初から年齢ではねられているわけです。フリーの求人情報誌も50代以上は特別枠になっています。50代以上は歓迎されないかんじです。スキル云々じゃないのです。若ければスキルがなくたって採用されます。年齢差別禁止といったって、インドのカーストみたいなもので、社会に年齢差別が根付いているのです。
この相談に対しては、中高専用の就職サイトにいけばあるとか、より好みせずどんな仕事でもやってみてはとか、高年齢をいかした着物関係の仕事を始めてみては?とか、前向きなアドバイスがされていました。(でも実際にはほんとどんな業種でも、若い子がいいみたいなかんじだそうです)
実はこの相談は10年以上前のものです。
今は人手不足で50代でもけっこう求人はあると思います。
女・こども(若年)・年寄り・障害者を活用しよう!活躍してもらおう!という気運?が高まっているみたいですが、この国はながらく女・子ども・年寄り・障害者をそでにして、無制限に奴隷のように働く成人男性だけを一人前の人間とみなしてきたことを忘れないようにしないとね。
保育園落ちてないのに活躍できてない50代女性をどうしてくれるんだ。あっ!!50代女性は保育園こそ落ちてないけど老人ホーム落ちまくってるはずだ。やっぱし活躍できないじゃないか!
50代女性はほんと、何してるんだろ?
ジョブのスキルがないから就職できない若者を「訓練」して使い物になるようにしてやるという欧米の発想からすると、スキルなどという枝葉末節なんかではなく、人格の根源を叩き潰して蘇らせる新興宗教まがいの「研修」はほとんど想像の外でしょうが、それこそ社会の基本ルールがジョブではなくメンバーシップである社会であればこそ、そこで評価されるのもスキルなどという下賤な代物ではなく全身全霊を挙げて会社に尽くすロイヤルティなのであってみれば、そこに全精力を傾注して若者を「使い物になる」ようにしてやろうというのは、少なくとも社会的文法(ソシオグラマー)には忠実に沿ったものと言ってあげてもいいのかも知れません。そして、いうまでもなくそういう社会的文法を見事に下支えしているのが、大学で教えているのは「無用の用」なんだから、会社に入ってから徹底的に鍛えてやってくださいといって送り出している「文科系」の諸先生方なんですが。まあ、そういう社会学的考察は、しなくても別にいいんですけどね。
教育問題ともリンクしていて、見える化しても複雑さは変わりません。最近、見える化=単純化がはやってますが…
労働行政側にしてみたら、雇用されて働く者は労働者で、その労働者が仕事に関連して受ける教育などは訓練である。仕事に関連した訓練なのだから当然技能・技術を学ぶものである。
生きるとは?人生とは?あなたにとって仕事とは?というようなことをグループで話し合ったり、仕事と全く関係のない経歴を持つ素性の怪しい講師から人生論を聞かされたりする「研修」なるものにカネを出す気はない。
だが、研修を受ける側は「労働者」という言葉同様に、「訓練」も嫌がる。スタッフや職員、社員が受けたいのは人生や哲学、コミュニケーションといった精神性に富む?「研修」である。資格だの技能だの技術だの、そんなんものはどうでもよく、人間としていかに生きるか、どうあるべきか、それが自分たち働くものにとって最も大事なことなのだ!と思っている。
かくして作文技術がものをいうことになるのだが…