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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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里親研修会に行ってきました。今回の里親研修講師は、龍谷大教授の金子龍太郎先生でした。
大学時代は環境生物学を専攻されていたそうで、教育心理学等は大学院で学ばれています。
教育論は「自分の経験」や「自分の思い」が中心となり、子育てでも「愛情さえあればなんとでもなる」といった精神論がまかり通っています。
生物学の素養のある金子先生は、生物種としての人間理解をあげておられ、世の慣習に縛られている女性にとっては貴重なお話でした。
3歳児神話は完全な間違い。
これは今じゃ3歳児神話なる言葉自体を知らない人が多いのではないかと思うかもしれませんが、どこで仕込んでくるのか若いお母さん達でもけっこう知っています。3歳までは家でみてたほうがいいですよね~って。
人間の子どもは難産の末なにもできない状態で生まれてくる。母親も産後はかなり疲労している。人間はそもそも母親一人で子育てするようにはできていない。だから家族を形成している。
人間の子どもがその他の哺乳類、霊長類と違うのは、接触と分離の両方に適応できるところ。皮下脂肪が多く、母親から離れてもすぐに体温は低下しない。両手を話していられるから手を使い脳が発達してきた。
人間の子どもは母親以外の複数の人間との関係を作ることができる。
養護を必要とする子どもを施設から家庭へ。
日本以外の先進国では、施設養護は圧倒的に少なく、ほとんどの子どもが里親家庭で生活しています。日本でもようやく、数年前から家庭養育にシフトチェンジし始めましたが、思うようにすすみません。
先進国の中で日本だけが。この理由を単なる役人の怠慢、世間の無関心、国の無為無策としたら、家庭養護に無理やりチェンジしても、多くの家庭で起きている悲喜劇が里親家庭でも引き起こされると思います。
なんで日本だけがいつまでも施設養護から抜け出せないのか。
「要養護のかわいそうなこどもたち」だけじゃなく、日本の家庭ではどんな子どもも育てられないからです。なんでもかんでも親の(特に母親の)自己責任。子どもにかかる費用は会社からもらう給料ですべてまかなう。その給料は父親が奴隷のように働いて得るもの。父親が奴隷のように働くには、母親が父親や家族の奴隷のように働かなくてはいけません。
子どもなんか育てたくないですよ。
奴隷労働の父親と、その父親に隷属する母親がいてはじめて子育てが可能になるわけです。ここにじじばばがつけばラクになります。
そこから外れた人は子育ては大きなリスクとなります。子どもがいるゆえに貧困に陥ってしまいます。
施設から家庭へ。大変いいことです。
でも単なる家庭礼賛ではすぐに行き詰まります。家庭崩壊が叫ばれて久しいですが、里親家庭は崩壊の心配はないのでしょうか。
里親家庭は、自営業の人や安定した職業の夫、専業主婦家庭が多いです。それが現状です。
私支える人、あなた支えられる人。こんな意識ではいくら行政が旗振りしたって、すすみませんし、崩壊も目に見えています。
それなのに、今女性活躍とかなんとかいって、女性の家事育児を支援するとか言ってますから。
このボタンの掛け違い、どうやって直せばいいのか…
とび職として働きつつ、写真家として全国を飛び回る。そんなとび職兼写真家の男性がある新聞で紹介されていました。
高校卒業後、職を転々として、とび職の会社に入ったころに荒木経惟氏の写真に出会い、「自分も人のいい表情を撮りたい」と思って写真を始めたそうです。
とびの仕事は危ないしきついが、給料がいいので写真も撮れる。原風景みたいなのや人との出会いをもっと写真に撮りたいが、現実にはコンクリートを積んで建物を建てている…理想と現実のギャップというか矛盾。だからか、とび関係の写真は勢いがあるけど、どこか切なさを感じさせる。
21歳で写真を撮り始めてから10年。今もとび職をやりつつ世界や日本国内をまわっているそうです。昨年写真集『解業(げごう)』を出版。
カメラ目線の写真が多いのは、正面から撮るからだそうです。
カメラを向けては話をし、またカメラを向ける。「ここだ」と思って撮る。正面からでいい。そこに人の魅力が全部出る。それを撮るために、多くの出会いを繰り返す中で感性を磨き、写真に収める腕を磨くことが重要。だから出会いを求めて知らないところにいく。
出会いを求めている人は多いですが、なんのためにということがはっきりせず、なんとなく…といいうことがほとんどではないかと思います。一応、結婚のためとか、ビジネスのためとかあるのでしょうが、それ自体が漠然・曖昧なものだったりします。
いろんな生き方があるんだなぁと思います。
私もどちらかというと、2足の草鞋的なやり方を好むほうです。以前テレビで、家業の漁師をやりながらカフェを経営しパティシエでもある女性が紹介されていて、こんな生き方いいな~~と思ったものです。
その道一筋の人からしたら邪道なのかもしれませんが…
昨日訪問した訪問介護事業所で、投稿雑誌をまとめ買いした。事業所のウェブサイトに雑誌のことがのっており、前々から気になっていたので思い切って聞いてみた。もし在庫があれば購入したい旨伝えると、創刊号から出してくれた。
毎月テーマが決まっており、そのテーマに沿った投稿文をまとめたものである。テーマが決まっているのは大変ありがたい。何かを書くときに、テーマが自由だと選ぶのに時間がかかってしまう。
創刊号のテーマは「昔あったもの」である。
ご近所の付き合い
ガリ版印刷
町名や住んでいた家、街並みなど
高齢者の役割・役目
人それぞれに「昔あったもの」(=今はないもの)があり、なつかしかったり、感慨深かったり、月日の流れを思ったり…
テーマはいろいろと吟味して選ぶのであろうが、とりあえず創刊号のテーマは、代表理事がラーメン屋に入った時に、そういえば昔はラーメンといえば必ずかまぼこの薄いのが1~2枚入っていたものだがなぁ…と思ったことが選定の理由だとか。
私もこのテーマで言いたいことがある。
昔はあったが今はとんと見かけず大変困っているものの一つに、公衆電話がある。携帯電話が普及し、使う人がいなくなったから撤収されたのはわかっている。だが、私は20年ほど前に初めてJフォンという携帯電話を使用しだしてから今まで、途中2~3年のスマホ期間を除いて月々の使用料金は2000円台~3000円台を維持している。この料金ですんでいるのは滅多に自分からはかけないからだ。もっぱらメールと受信のみの使用である。(ごくたまに、友人がケータイをうっかり忘れたり、充電切れになったりして、かる~く「ちょっと貸して」とか言うが、なに!!ってかんじでびびります。)しかし。出先で自分からかけなきゃならないときもあり、そういうときは公衆電話を利用していたのだが、10年以上前からその公衆電話がとんと減り、ちっとも見当たらないのである。大変困る。定額にしたらいいのに、と言うだろうが定額だといくらかけても2000円台なのか?携帯にはとんと疎いので知らないだけなのか?
とまあ、テーマが決まっているといくらでも書けます。
投稿詩は「まっち」という名前ですが、なんでまっちなんやろ…今度聞いてみよう。
テーマ投稿以外にも、臓器移植や産科医療補償制度についてなど、当事者の視点で書かれたものもあり、興味深い内容となっています。
1年ほど発行が遅れているとのことだが、「ロマン」がテーマの次の号を早く読みたいものである。
家に届いたFPジャーナルの最新版に、顧客との関係構築に役立つ会話について書かれていました。
1幸福を感じるには何が必要か
2万一不測の事態が起きたら…
3日々の習慣について話をしましょう
4あなたのこれまでの人生について聞かせてください
5チームワークで支えます
の5つですが、いきなり営業の売り込みとして使うという手もありかなと思います。
電話とかだと、ガチャンと切られる可能性大ですが…
対面でも胡散臭く思われそうですが…
文書だと引き込めるかも…
私は幸福論がちょっと苦手なので、不測の事態や日々の習慣あたりでトライしてみようかなと思います。
FP(ファイナンシャルプランナー)が顧客との関係において重視すべきことの一つに、家計に関するものだけでなく、それ以外のものを含めた顧客の習慣がある。貯蓄と消費を例に挙げると、消費型人間か貯蓄型人間かにかかわらず、あるいは収入の低い職業なのか宝くじに当たった直後なのかにかかわらず、消費の習慣はいつもその人について回る。
その通り…
そして、アリストテレスの名言「人は繰り返し行うことの集大成である。だから優秀さとは、行為ではなく習慣なのだ」を引用し、貯蓄・消費・健康・その他顧客にとって重要な分野についての習慣を探っていくことの重要性を説いている。
雇用される労働者であれば仕事の決め方、経営者であれば採用の方法や決定、人事評価者であれば評価の仕方…それぞれに習慣があるのでしょうね。
習慣を見直すことはたやすいことではないはず。でも、変えたい!と熱望している人も多いはず。突破口となり得るか。
FPジャーナルって、字が小さくて読む気が失せるんだけど、面白い記事もたまにはあるんです。