[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「ハローワークなくなるらしいよ~」と聞いてびっくりしました。私は雇用される労働者として
ハローワークには散々お世話になってましたから。恨んだこともあったし、腹を立てたこともあったし、窓口のお姉さんの悪口を言ったこともあったけど、職探しにおいては拠り所にしてたの…(ハローワークがブラック企業ばっかし紹介してるってのはまた別の話で…)
ハローワークがなくなると言った人は「だいたい国が職業紹介するのおかしいですよ。ハローワークはそもそも雇用保険給付を行うとこですよ」とおっしゃっていたのですが、私にはその言葉は意外でした。
社労士試験の勉強をしているとき、労働に関する一般常識のところで、雇用に関する法律が色々出てくるのですが、名前が似通ってて覚えにくかったのです。職業安定だの雇用対策だの雇用安定だの雇用促進だの、なんとなくはわかるけどごっちゃになるじゃないですか!それで、職業安定法の中身を見たらもっぱら職安(ハロワ)の職業紹介について書かれているので、「はは~ん。職業安定ときたら職の斡旋、ハロワ」ってことだなというふうに覚えたのです。なのに、そもそも職の斡旋は国のやるべきことではないと言われても…
戦前の職の斡旋で私がすぐに思いつくのは、江戸時代の口入れ屋である。時代小説などによく出てくる、浪人に武家屋敷の用心棒などを斡旋するじじいとかだ。そうそう用心棒の口もなく、浪人から「何日も食うもんがない。なんかないか」とすがられて、人足仕事(土方)を紹介し、さすがの腕自慢の浪人も泣き言を言う…というのが用心棒日月抄あたりにあったような。それか、ああ野麦峠に出てくるような人さらいまがいの女衒に等しい仲介屋か。
いずれにせよ、国が職の斡旋に乗り出したのにはなんかわけがあるだろうと思っていたので、役割を終えたとか、時代に合わなくなったというならともかく、国がやるのはけしからんはどうもピンとこないのです。
愛し恋しのハロワですから気になります。どんな歴史を背負っているのやらと思い、検索してみたら、労働経済学者:神林龍さんの「なぜ職業紹介は国が行うのか」が出てきました。
ILO条約とその背後にある国際的規範がまずあるようです。ILOが営利職業紹介を原則禁止しているから禁止し、ちょっとはいいかと軟化したので、日本も営利紹介を解禁してます。ただ、それだけが理由とは考えられないということです。無料の職業紹介を求めてはいるが、営利禁止については規制の程度を選択する余地があったのです。
にもかかわらず「何人も有料で又は営利を目的として職業紹介事業を行ってはならない」としたのはなぜか。職安法の前身である職業紹介法でもすでに1938年(昭和13年)そのように規定しています。
なぜなのか。
あまりにもひどい人身売買まがい(そのものか)の職業紹介が横行していたのがひとつの理由です。『職工事情』にその有様が綴られています。これは国がなんとかせなあかん!と思ったのでしょう。国が無料で職の斡旋をすれば人身売買まがいのものはたちどころに消えうせるはず!だったのでしょうが、ことはそれほど単純ではなかったようです。
国の職業無料紹介が民間職業紹介を上回るまでけっこう時間がかかっています。
無法状態の一掃に時間がかかったのか?そうかもしれないがそうではない可能性もあるとして、次のような事情をあげています。
無法がまかり通っていた時期もあったが、1920年代以降、市民社会と市場経済の発展に伴い、職業紹介の制度が洗練されていった。発展目覚ましい紡績業界などでは、だまして連れ去り酷使するよりも、ちゃんと教育して継続的な労働力供給を目指した方がよいというかんじです。
では、このように営利紹介事業に経済的合理性が具わっているなら、1938年以降の国の独占は政治的意味合いしかなかったのか?(国家総動員で戦争をしているので、軍需工場などの労働力を調達しやすくする)ということになるが、神林さんは早急に短絡な回答を出すことをしていません。
まず考えられることとして、戦前において営利紹介で効率性が保たれた分野は限定的であったということです。なので民間に任せっきりでは紹介者の逸脱行動を抑えられないと判断した。ただ、これだけではまだ営利紹介禁止の根拠とはならないとし、歴史的プロセスに焦点を当てています。
紡績業のようなうまく機能した営利紹介は後に国営紹介に吸収されています。
求職や求人の情報の蓄積と信頼関係の構築が必要な職業紹介業務は一朝一夕に算入できるものではなく、それは公営組織とて同じことである。国営紹介網を発達させる手っ取り早い方法は、営利事業を法律で禁止し、既存の民間組織を吸収・再編することだったのではないか。国家総動員体制は、そのような強権を発動するのに適した政治的状況だったのであろう。というのが神林さんの導き出した結論です。
ハローワークは全然ダメだ。非効率的だ。あんなとこ行ってもろくな仕事がないという悪口は一面においてはそのとおりかもしれない。学卒の若い人などはハロワといえば負け組・惨め・失業したヤツがいくところ(あんた失業しとるやろ?と言いたいですが)と散々な言い草だが、だからといってインターネットやスーパーにあるフリーペーパーの求人情報がそれほどいいかと言われたら、労使ともにほんとはおおいに疑問があるのではないか。
神林さんは最後に、職業紹介に国がどの程度関与すべきかを考えるのであれば、歴史的な事情を念頭に置くことも必要になってくると言っています。
ハロワがんばれよ~
ついでに言うが、非正規でも再任用でもちゃんとやれよ~
日本では食品の廃棄量が非常に多いということは知っていましたが、その内訳はあまり知りませんでした。賞味期限や消費期限が切れたものが多いとは聞いていましたが、一番多いのは、野菜の皮を厚くむく・へたを大きく切る・肉の脂を過剰に取り除くなどの「過剰除去」だそうで(55%)次に多いのが「食べ残し」27%、期限切れなどでの「直接廃棄」18%ということです。
過剰除去は私もやりがちなので気を付けようとは思っていますが、農薬などが心配でつい皮を厚くむいてしまうんです。皮を食べることも同じ理由でほとんどしないです。食べ残しと直接廃棄を極力避けるのがいいと思います。私はどっちも滅多にないですが。
外食で食べきれずに残ったものをどうしますか?というアンケートを大学生に対し行った人がいるのです。
「食べ残しを持ち帰るのは恥ずかしいと思う」「食べ残しを持ち帰らない家があるとは知らなかった」という相反する感想が書かれていたそうです。子どものときからの習慣が影響しているようです。
私はとにかく貧乏性で(実際に貧乏でもあるんですが!)外食時食べきれないほど注文をするなんてことはまずないです。多少、いやかなりお腹が苦しいなと思っても「もったいない!」と思って食べます。持ち帰るという方法は知らなかったです…思いつかなかった…
焼肉や寿司などの店で他の家族を見てると、すごい数量がテーブルに乗っていて驚きます。
激安スーパーでの大量の買い物にも驚きます。
貧困家庭によく見られる光景ではないかと思うのです。
なぜ多く注文し過ぎてしまうのか、なぜそこまで大量に買い込んでしまうのか。単なる浪費とばかりもいえない面があると思います。
食べることと生きることは切り離せないものです。捨てることも含めて食べ物について真剣に考えるべきではないかと思うのです。断捨離すればいいって?TPPで外国の安い食品が手に入るようになり食生活が豊かになるので、今後ますます捨てるノウハウが流行るって?
残念ながらそうかもしれない。