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バースコーディネーターの大葉ナナコさんが、新聞紙上で産後のネガティブな感情と付き合うヒントをお話しされていました。大葉さんご自身は2男3女の母で、現在大学院で「就労妊婦のストレス」を研究中ということです。

社会人生活が長いと、物事を「最短時間で最大効果」にマネジメントしがちだが、育児は「予定不調和」が当たり前。決定事項以外が苦手な人・完璧主義な人は産後うつになりやすい。

なるほど。バリバリ働くママは産後うつになりやすいかもしれないです。仕事で活躍した女性が、高齢出産した場合、他人に甘えず成功したことが自己肯定感になっていると、気軽に「助けて」と言えず、支援者からの発見も遅れがちとか。


(夫へのアドバイス)
女性は自分からお願いすること、指示しなきゃ相手が動かないこと自体がストレス。でも男性は自分にニーズがないことは想像しないし指示ありき。女性は気づいてほしいもの。「言わないのにやってくれた!」が一番ポイントが高い。

これは家庭内のみならず、職場やいろんな集まりにも言えることです。面倒くさいことですが、やはり「言わないのにやってくれる。察してくれる」男性のポイントは高いです。

(妻へのアドバイス)
夫にオーダーするときはできそうなことを具体的に。やってくれたら最大にホメる。

私は全然できてません。ちゃんとわかりやすく言えず、ダメ出しが多く、1回やってくれたら今度もやってくれるものと決めつけているので、夫は警戒してギリギリまでやろうとしません。

大葉さんは、夫や子どもを上手にホメ、「家族の仕事は略して家事!」と言い続け、みんな家事を手伝ってくれるようになったそうです。

見習えるかな…

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施設介護職員による入居者への虐待があきらかになると「許せない!厳しく罰するべし!」という声が聞かれる一方で、介護職員の置かれている劣悪な労働条件を持ち出して、虐待はいかなる場合も許されないが、このような状況を生んだ介護職員の待遇についても考えなければならないのではないかといった、寛大ぶった声が必ずといっていいほど出てくる。

介護されたこともなければしたこともない人からの高所からのお説であると思われる。

介護職員の利用者への虐待は劣悪な労働条件が理由なんぞではないとはっきりと言いたい。

介護業界の労働条件がひどいのは事実である。どこと比べてひどいのかは知らないが。人間相手の仕事でしんどいのも事実である。人手不足と滅私奉公の押し付けでサービス残業だらけなのも事実である。人間関係が最悪なのも事実である。給料が安いのもご存じのとおりである。どこと比べてんのか知らないが。汚い仕事かどうかは判断に迷うところである。金融業よりもクリーンかもしれない。このように最悪の介護仕事であるが、虐待とは全然関係ない!!

そんなのうそだ!と言うなら、働いてみればいい。すぐに雇ってもらえるから。大学の偉い先生やジャーナリストと名乗ってる人も身分を隠して1~3か月特養あたりで働いてみたらいいです。心配ないって、めったに採用を断られるなんてないから。資格は訪問介護以外なくてもオッケー。知らなかった?

それでも、この労働条件じゃ虐待するしかないよ。虐待する職員が悪いんじゃないよ、事業所がいや国が悪いよ、行政の責任だよ、いや国民みんなの責任だよ、と言うならどうぞ言ってみてください。

虐待するのは虐待する本人の責任です。

虐待されるのが高齢者でも障害者でも子どもでも女性や外国人でもいっしょです。

虐待する側の貧困その他さまざまな問題はまったくの別問題です。

社会全体で考えるとか、耳に心地いいことを言っていますが、こういう寛大ぶったエセ社会
家がもっとも性質が悪いです。

介護の仕事がいやならやめればいいだけです。誰も強制労働などしていないはずです。虐待を続けながら仕事を続けているのはそうしたいからじゃないですか。

最悪な労働条件でも虐待しない人がいる一方、恵まれたいい環境でも虐待をする人はいます。介護に限ったことではないです。簡単なことなのに、なんで介護のことになると思考停止してしまうんだろう?

偉い先生はどうでもいいけど、現場の介護職の人はちゃんと声をあげてください。

テレワークは最近注目されてるかんじですが、10年程前からチラホラ導入はされていたんですね。

10年前にでている『テレワーク導入のポイントと実務』という本を読んでみました。

テレワークをしている労働者はしていない労働者よりも1日少なくとも1時間長く働いており、自宅のほうが生産性の高い状態を長く維持できるということです。

アメリカの事例と日本の事例が紹介されていましたが、両者の違いが興味深かったです。

アメリカの場合、テレワークによるコストダウン・労働生産性向上という目的のため企業が率先して取り入れています。

オプション(社員の選択)でスタートしたが、今はしなくてはならないものになっている。だが、小さな子どもが自宅にいるような場合は認めない。

ここが日本の企業と大きく異なるところです。

日本企業の場合、テレワークの目的は「育児介護との両立、病気や障害があっても働けるように」となっています。なので、子どもが8歳までに限るとか、社員の希望なのでインフラ整備は社員負担とかになっています。

職種はやはりIT関係が多いです。アメリカもそうですが、アメリカの企業は「すべての仕事はそれが全くテレワークに向いていないことが証明されるまでは、テレワークの可能性があると考える」と、かなりやる気あるかんじです。

日本の50代男性は、テレワークはメリットばかりでデメリットはないと言っています。女性は育児の関係からテレワークをしている人が多いので、通勤時間を仕事に充てられるのでいいと言う一方、仕事がはかどる深夜に集中してやるので(会社からは健康に配慮して18時以降するなと言われている)健康面が気になると言います。

土日祭日朝夜は子どもが寝ているとき以外仕事などひとっつもできない私からすれば、育児介護に配慮したテレワークって、事業所行くよりストレスたまりそうです。

今現在、テレワークは国がずいぶん勧めており、導入した場合には助成金もでますが、なんか目的がな~~ってかんじです。

女性が輝くために、女性が活躍するためにテレワークを推進したら女性はますます孤独になり追い込まれてしまいます~。

本来テレワークは「どこで働いてもいい」わけで「自宅でなくてはならない」ということではないのですが、育児介護理由だと自宅になります。

可能性はまだまだあるとはいいながら、課題もまだまだあるのがテレワーク。

世間の騒音に煽られず、働き方改革・組織改革のひとつとして考えてみたらいいのでは。





ある教育雑誌の中で、尾木ママで知られる教育評論家の尾木直樹さんが、子どもの習い事についての相談を受けていました。

子どもが自発的に始めた習い事だが、経済的な負担が大きく、このまま続けさせるかどうか悩んでいる。このまま(自分が)頑張ってお金をなんとかやりくりして続けさせるのが親として正しいことなのか、という相談内容でした。

尾木さんは、習い事をやめてしまう前に、回数を減らせないか・もっと安い教室や地域のクラブなどがないかを検討し、それでも続けるのが経済的に無理であるなら、子どもが何歳であっても
本当の事情を伝えていいと思います、と回答していました。

子育てというのは、親がすべての苦労を背負って、子どもに何でも与えることではない。特に経済的な問題は子どもと共有し、共に乗り越えるという姿勢が大切ではないか、とも。

子どもによい教育を受けさせてやりたい。よい経験をさせてやりたい。親ならみなが思うことです。経済的な理由で、多くの友達がしていることを経験させてやれないのは心苦しいものです。

うちの6歳の娘も、音楽界などでディズニーメドレーがあると、「ディズニーランド行ったことない…」と、しょんぼりした様子で言います。お友達はみんな行ったことあるんですね…

小学校5年くらいのデビューでは遅いんでしょうか!!

それはさておき。

習い事や塾などですが、お金を払ってよそに習いに行かせなければならないと考えると、貧乏で無理…哀れな我が子よ…となりますが、別にそうしなければならないというものでもないですよね!

英ぺにしたいとか(たぶんネイティブみたいな発音が理想なんだと思うけど)プロにしたいとか、将来役に立つに違いない!とか、いろんな理由があるのでしょうが、カネ払って送り迎えして、おさらいとかもしてってな手間暇を考えたらうちで自分が教えたらっていうか、自分もいっしょにやればいいんじゃないの?と思うのですが…

生外国人とのふれあいとか、生楽器に触れることで得られるなにかっていうなら、習い事以外にいくらでも機会はあると思うので…

なんかすごくズレたことを言ってる気がしないでもないが…多くの人が安くもない月謝を払って習い事をさせている現状を見ると、やはりカネをしぼりださねばならない理由があるのか…

しょーじーき言ってさっぱりわからん。

有給休暇って、なんか注目されてるかんじです。

会社に有給休暇の制度がないから取れない…とかいう人もまだまだ多いのですが、労働基準法に規程されている法定休暇であることも徐々に知られてきています。

でも、知っているのにやはり有給休暇は取れない、取りづらいという人がすごく多いのではないでしょうか。

権利なんだから取れますよ!と言いつつ、当然の権利のように有休を取る人に対しては反感を持ったりします。

権利と権利がぶつかるのですから当然です。

安保法案で注目されている憲法もそうですが、「権利」という近代的な新しい概念は、実のところわかっているようでよくわからないのです。

社会保険労務士としては、事業主に根気よく有給休暇を説明して、今後の強制付与にも対応していけるようにしないといけないとは思います。

ただ、やはり思います。

有給休暇という概念は簡単には理解できないのではないか。理解はできても納得はできないのではないか。

労働者の方は、権利ですよ!権利なんだから行使しなきゃ!主張しなきゃ!と言われ、おずおずと、やがて大胆に請求しだします。でもそもそもその権利が何なのかよくわからないし、権利と権利がぶつかったときには、どうしたらいいかもっとわからないと思います。話し合いで~とかなって感情のしこりが残って、結局権利もあやふやに…ってかんじでしょうか。

会社側には、時季変更権という控えめな権利はあるのですが、この権利と有給の請求権がぶつかったときは、労働者側があきらめざるを得なかったり、でも不満は残ってぶーたれたりと、みんなが権利権利と浮かれるだけだと権利合戦みたいになってしまいます。

労働を苦役とみなす宗教的背景から有給休暇はきているんでしょうか。

仏教徒である私は実はよくわからないのです。

権利が強制的に与えられるってどういうことなのでしょうか。

それは権利と言えるのでしょうか。

グローバルだなんだと大騒ぎの日本国ですが、宗教から完全に背を向けている状態で、イスラム教徒やキリスト教徒を始め、多くの宗教を背景にしている世界中の人とどうやって共生していくのでしょうか。

たかが有給休暇といえども、宗教的な理解なくして浸透はあり得ないと思います。


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