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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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香港出身のアグネスさんが、上海の株式市場のギャンブル化について興味深い考察をしています。
金融知識がある人だけではなく、一般の主婦や会社員、学生までが日常的に株取引をしており、なかにはリスクがあるとわかっていても、ギャンブルのように取引を楽しむ人もいるそうで、上海の株取引は常識的ではないとのことです。
しかし、香港の株式市場も同様であるが、法で認められたギャンブルがあることが大きな違いである。合法的なギャンブルがない中国では、庶民ができる最大のギャンブルが株式投資である…。
単純にギャンブル=悪いとは言いきれないようだ。
カジノ法案で揺れる日本だが、多くの人がこの法案に反対しているのではないだろうか。カジノ合法化!経済が活性化!と考える人は少数派で、多くの人が、ギャンブル依存症や子どもたちへの悪影響を懸念しているだろう。私だってそうだ。
しかし、そう思う一方で、パチンコ店に対しては見慣れた風景として特に感じるところがないのを訝しくも思う。私としては、パチンコはまぎれもなく賭け事であり、パチンコで破滅したというはなしもよく聞く。にもかかわらず、出店のときに近隣住民が少々騒ぐほか、大きな問題として扱われてはいない。
賭け事ではないそうだ。パチンコは遊戯であり、ゲームセンターみたいなものとして扱われているようだ。換金は全く別のお店ということだ。パチンコをしない私はそんな事情をあまりよくわかっていなかった。
ノンフィクション作家の溝口敦が以前、いっそカジノを合法化したほうがけじめがついていい、というようなことをどこかで書いていました。賭博の自覚もなく、ハレとケの区別なく日常的にパチンコにいれあげていることに対する嫌悪と批判でした。カジノはハレの日にやる特別のものという感覚がもはや日本人にはないと憤っていました。
日本でもお祭りなどで時々開かれるのが賭場やくじだったんですよね。たまにやる遊びだから負けても損しても仕方がない。取り返そうにもその日限りのことで不可能。
でもパチンコが日常的になったことで、今日の負けを明日明後日に取り返そうと躍起になって…
依存症は競馬や競輪、競艇など公的なものよりもパチンコの方が圧倒的に多いと聞きます。
カジノ法案をただ反対反対というだけではなく、この際、パチンコにも焦点を当てたいものです。
今年の社労士試験の受験者は5万人ほどだそうです。ピーク時から徐々に受験者は減ってきているようですが、今年の5万人というのは激減とか。
そう聞いて、その原因は何か?と考えようとした矢先、会長から「試験センターの運営が赤字になってきている」と言われ、ああそういうことか…と妙な納得をしました。
試験監督の説明会でのことでした。
社労士試験に限らず、不況になると資格取得に走る人が多いようです。不況時に資格を取った人が景気がよくなるとその資格を武器に就職に臨むということなのでしょうか。
受験者が増えれば商売敵が増える…ついそう考えがちですが、社労士会としては会費などの収入が増えるんですね。とはいえ、全然仕事が取れなくて廃業したり、脱退したりすれば会費も取れないわけで、バランスが微妙なところです。
合格者の総量が制限されていなければ、基準に達する人はみな合格するので、そんななかで競争して多様な社労士が出てくればいいのではないかと思います。
障害年金が熱い!今年は介護だ!マイナンバーで商機を狙え!など、そのときそのときの流行があるのでしょうが、あまり振り回されずに(難しいことですが)自分の持ち味を生かした仕事ができたらなと思います。言うは易しですが…
私は自分の関心に引きずられて、世間の風をとらえられないところがあるので、これで行く!と言われたら、それまでは考えてみもしなかった分野でも、やってみようかな…と軽く思うタイプです。
ところで、社労士試験の受験者数激減の理由はなんだろう?資格取っただけじゃ儲からない、就職が有利になるわけでもないってことがわかってきたのでしょうか?
でも、そういうこととは無関係に、一生懸命勉強をしてきた人たちも多くいるはずです。そういう人たちは、ぜひ23日の試験で実力を発揮してくださいね。
試験日には邪魔にならないよう気を付けますので…
私は世事に全く疎い。家にテレビがなく、ラジオは家事と食事の間にニュースを聞く程度で、新聞もななめ読み、夫がしょっちゅう購入する日刊ゲンダイをたまにテキトーにまとめ読みするだけだからだ。
芥川賞を受賞した又吉さんが吉本興業のお笑い芸人だということを数日前に初めて知った。長髪の優しげな又吉さんの顔をいたるところでみかけ、「どうしてこの人はこんなに注目されているんだろう…?」とぼんやり思ってはいたのだが、関心がないのでそのままうっちゃっておいた。
我が家に届いた共済だよりのなかで、ジャーナリストの斎藤貴男氏が、芥川賞は又吉氏と羽田氏の2人の受賞であったが、注目はお笑い芸人である又吉氏に集中した。主催者である日本文学振興会≒文藝春秋はプロの職業作家を軽んじすぎる。本気で文学を志す人たちへのリスペクトがなさ過ぎる。そう言われたくないから本職との2人受賞にしたということであればなおさら、何をか言わんやだ。と怒り心頭に発しているようであった。
お笑い芸人だから芥川賞が取れたわけではなく、当然ながら作品を評価されてのことだろうが、文学という芸術が汚されたような嫌な気持ちは拭えない。
斎藤氏は又吉氏の作品は読んでいないと言う。なので、中身については全く言及していない。斎藤氏が厳しく糾弾しているのは、又吉氏のお笑い芸人という属性を利用して文学を単なる金儲けの手段に貶めた出版社の卑しさである。
こうなっては、もはや作品を冷静に判断することはできないのではないかと思う。又吉氏の『火花』は読んでみたかったのだが…
その点、本は昔のものが無難で良いです。
カエサルの『ガリア戦記』だの、セネカの『怒りについて』だの、ゲーテの『ファウスト』だのを読んでればいいのです。彼らの属性さえも作品を面白くします。
なお斎藤氏は、戦争法案の強行採決に関しても、権力チェック機能たるべきジャーナリズムは、とどのつまり何の役にも立たなかった。それを生業にしている人間の一人としてつくづく恥ずかしい、と痛恨の極みのようでした。