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認知症の男性(当時91歳)が徘徊中に列車にはねられ死亡した事故で、今回の事件においては家族(妻は当時85歳で要介護1、長男は当時57歳で別居)の賠償責任は否定された。
監督責任を負うのか、もし監督責任者に当たる場合、賠償責任は免責されるのか
ここが争点であったが、今回は妻も長男も監督責任なしとされた。もし監督責任があったなら…
ひとまず、要介護者を抱える家族はホッとしただろうが、この最高裁の判決に恐れおののいている人たちだっている。
私ははじめてこの事件を知った時、(鉄道”事故”は多いが、裁判になるとなんでも「事件」になる)まっさきに、もしも自分がケアマネとして担当している人だったら、自分はどんな責任を負わされるのだろうか…と青くなった。もしも施設に入所していたり、通所施設に通っている人だったら、施設が責任を負わされる。在宅でこのようなケースだったら、もし家族に監督責任がないとしたら、誰にどこに責任があるのだろうか?
列車が脱線してけが人や死亡者が出た場合は…
今回の相手は、JRという大企業だったが、そうでない場合は…
泣き寝入りするのが大企業なので大方の人は痛くもかゆくもないだろうが、そうじゃなかったら…
今回このケースにおいて、家族の監督責任はなしとされたが、別のケースであればまた違った結果になるだろう。
ところでこの事件、もしも徘徊していたのが認知症の妻で、介護者が夫であったならどうだったであろうか。世間の声はまた別のものであったような気もする。もしかしたらもっと早い段階で決着が着いただろうか。監督責任はあるが、賠償責任は免除となった可能性もある。
一応の決着はついたが、課題は多く重い気持ちになる。
多様な~~がおお流行りの一方で、従来型の家族観・労働観その他をよしとする頑迷な考えも幅を利かせている。そんななかでの、家族に責任なしの判決。多様派と従来派は一見対立しているようだが、よくよく見れば多様派は従来派を支えている。
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