入学や入社の季節である。本人よりも周りがやれお祝いだ、やれビデオ撮影だと騒いでいる。それが楽しみだと言うのなら別にいいが…
はるか昔の自分のことを思いだすと「めでたさ」とは無縁の厳しい世界への船出であったのだが、親はそのことをどの程度理解し、覚悟していただろうか。
親や教師など大人には大人の面倒な事情があり、子どものことなど気に掛ける余裕もなかったのだろうが、子どもの事情にはまるで無頓着であった。
大人はのんきなものだなぁとあきらめの気持ちを何度も持った。
それでも過剰な監視や干渉がなかったことは、今となってはありがたいことだと思っている。
放任主義だったようだが、実際には親以外の人とのかかわりが非常に多かったと思う。
厳しい人生に向かって船出したのに安心できる港もなく…と恨んだりもしたが、寄らせてくれる港はけっこうあったのである。
過干渉にせよ過度の放任にせよ、今は親以外とのかかわりがあまりにも少ないゆえのリスクが大きいように思う。
私は小さいころから海を見ると、あの海の向こうには何があるんだろう。きっと自分の知らないいろんなものがあるんだろうなと、漠然と感じていて、海の向こうへのあこがれが大きかった。
子どもたちにも、今自分がいる世界がすべてではないのだとわかってほしい。世界は自分が認識しているだけではないのだと知ってほしい。
私たち大人の果たすべき役割はなんだろうか。