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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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長い間子どもがなく、今もまだ小さいので教育費の問題については無頓着である。
公立高校が無償化されたことを知っている程度である。
大学の学費が私立のみならず、公立であってもかなり高いことは聞いたことがあるが、自分には関係のないこととして具体的な数字も知らないでいた。
奨学金の返済に苦しむ卒業生が多いことは身近な人からも聞いて知ってはいた。
うちのお嫁さんまだ学資ローンもってるのよ~、○○君の何百万の借金は奨学金らしいよ~というようなものだ。
そう聞いても、ふ~ん。(なんでそんな借金してまで大学行くんだろ?しかも4流5流のバカ田大学に…勉強が嫌いな自分には理解不能…と思っていた。)
親がローンを組んでるんじゃないのか…親がなんで出さないんだろう?と不思議に思って尋ねても、「自分がどうしても行きたかったんじゃないの~」「親もお金なかったんじゃないのかな~」というような返事で、なんかすっきりしないままだった。
試験がないような大学が多いとも聞いていたので、(借金してまで行くのは理解不能だが)自分が行きたくて行ったんだし、自業自得ともいえるんじゃないのかな~とのんきに思っていた。
学費の高騰については、少子化だから高くても親はかわいいわが子のためと思って我慢するんだな~と、本人名義で借りて就職後何年もかかって返済しているという事情との矛盾はうっちゃって、勝手に思い込んでいた。
欧米諸国に比較して学費の私費負担が多いことに関しても、年功賃金で説明されるとそんなものかと思った。
だが、年功賃金が崩壊した後も、むしろ大学進学率は上がっていて、しかも学費のインフレ率は急カーブとなると、もはや「なんでやろ?」も放棄して、自分にはけっして理解できないなにかがあるんだろうと思うことにした。
今野晴貴・大内裕和著『ブラックバイト』のなかに、教育を「投資」として捉え私費負担を当然視する発想が通底しているという分析があり、ようやく「ああ~なるほど」と思いました。
世間の大多数の人たちが、大学への進学を「投資」とみなしていることをちっとも知りませんでした。「投資」にはリスクがつきものですが、昨今流行りの自己投資というやつは、あたかもリスクがないかのように喧伝されていて、インチキくさいのですが、大学進学も一種の自己投資なのですね。
他人に投資するよりは、自分に投資するほうが確実な気がするのはわからないでもないですが、高額な学費で怪しげな授業を受けるのは「自己」投資なのか?という疑問はぬぐえません。
膨大な時間とお金を担保にしていることを思うと、自分にとってリスクの高い他者への投資にしか思えないのですが…
資格学校やコンサルセミナーの類も同様ですが、おそるべし自己投資!
私は不確かな自分よりも実績のあるひと様のほうがよほど投資対象として確実だと思いますよ。
ロマン・ロラン著『ジャン・クリストフ』に、ある子持ちの未亡人が、毎日ヒマそうにしていることをからかわれ、次のように抗議する場面がある。
朝起きて身支度を整えて、昼食のことを考えて、昼食を作り、昼食を食べて、夕食のことを考え、少し部屋の片づけをして…そんなことばかりで日が暮れて、毎日やることがたくさんあるのですよ!何もしない時間も少しはないといけませんしね。(小さな女の子が一人おり、雑貨屋もやっているが、そちらはたいした働きがない…)
ほんとにそのとおりである。私だって同じだ。
6歳の娘と60歳を過ぎた夫の世話や、自営の仕事、月に10日の役所勤めは他人からみれば片手間仕事に見えるだろうが、それ以外にも上記の子持ちの未亡人と同じようにこまごまとした際限のない仕事がいっぱいあるのだ。
昨日はそれに加えて4時間にも及ぶマイナンバー研修を受けねばならなかった。(別に強制ではない。しかも3時間以上はうつらうつらしていた。しかも夏ボケのため、会場がホテルなのにジーンズとTシャツで参加し、肩身が狭かった…そして内容はさっぱりわからなかった…4時間のうち3時間居眠りしてたからじゃありません!いや、それもあるけど、そうじゃなくてもわからないんです)
小説『ジャン・クリストフ』には、たいした働きのない未亡人や、窓辺で半日ぼんやりして過ごす人間、そこに座っていろと言われたなら黙って何日でも座っていられるような人間以外に、朝から晩までしゃべり続け、喚き続け、体を酷使し続け、そうしないものを激しく憎む人間も出てくる。
両者は慈悲や寛容の心を持ちながらもやはり相容れない。
それでも、昨今のわが国と違い、自分の領域を侵害されることはない。怠惰な未亡人も、喚き散らすしか能のないおかみさんも、迫害は受けていない。
これは貴重で神聖な権利であり、お上から授けられる類のものではない。
ああ…6時前なのに、もう娘が起きてきた…朝ごはんの準備に、小言に忙しい
成年後見制度の研修会がようやく終わった。
最終日は弁護士の方の話で、主に後見制度支援信託制度についてだった。
成年後見制度のいろんな事例を知るという点では勉強になったと思う。
だが、社会保険労務士としてどのようにこの制度に関わっていくかという点においては、弁護士や司法書士、社会福祉士がかかわった事例をどれだけ聞いても、それだけでは答えを見出すことはできない。
弁護士や司法書士にはできることでも、社労士にはできないことがある。また、組織に所属しそこから給与を得て成年後見の仕事をしている社会福祉士と、開業社労士では違う。
参考になる点はもちろんあるのだろうが、やはり独自で道を開いていくしかないのだと思う。
非弁行為ということで隣接士業との関係が問われるというが、弁護士以外は法律行為が制限されている。そして社労士(社会福祉もだろうが)には、お金も身寄りもないややこしい人が当たる可能性が高い。こまごまとした書類を集めるにあたってどうしたって法律の壁に阻まれる。
非弁行為と聞いて、瞬間的に思い浮かべるのは介護現場における医療行為である。
今現在、一定の研修を受けた介護職員はいくつかの医療行為を行うことができる。
高齢者のたん等を機械で吸引する行為などがそうである。
介護現場では「えっ!これって医療行為なのか!」と驚くようなことを日常的にやっている。お腹に穴をあけてそこから流動食を直接胃に流す「いろう」の管をつなぐこともそうだ。(操作自体は簡単)家族はできても介護職員はできないのである。
では、違法行為を長年やっていたのか?
違法状態は放置されていたのか?
半分はそうである。だが、やむを得ないときには特別に許可するという通達は出ており、必ずしも違法というわけではなかった。
とはいえ、そういう状態が長すぎた。
成年後見制度にも通じる。
法律行為を行うために後見人をつけねばならず、しかしそのために後見人は法違反を犯さざるを得ない、そして常にびくびく…
これじゃ、なんのための後見人?国や自治体が後見人になればいいんじゃない?
と思わざるを得ない。
いっしょに研修を受けた人の様子では、どうも一応受けてはみたけど、やるのはちょっと…というかんじだった。仕方がない。
まだまだわからないことだらけ。