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訪問ヘルパーの仕事をしていたころ、一人暮らしのおばあちゃんから「労働基準局」という言葉を聞いたことがあった。工場勤めの夫が、仕事がなく自宅待機させられ、給料がもらえなく生活に困ったため、労働基準局に訴えに行ったら、けしからん!と監督さんがすぐに工場に補償給を支払うように言ってくれた、というような話でした。

労働基準局?はて、なんじゃろうな?と思いました。そんなものが各都道府県にあったのか?おばあちゃんに監督署のことか確認してみたが、「ろーどーきじゅんきょく!」と言い直されました。よくわからないまま、面白いエピソードだったので、訪問記録に書いときました。

今現在各都道府県には「労働基準局」はなく、あるのは「労働局」です。その下に位置する労働基準監督署は、昭和22年9月に片山哲内閣のもと、労働省が設置されたときからありました。初代労働大臣は加藤勘十さんという人です。

これらのことを『第一線労働基準監督官の回顧録~戦後労使の新時代~紛擾(ふんじょう)の間に立って』という本で知りました。紛擾とは、もめごと・ごたごた・紛争のことです。

著者の加藤卓雄さんによれば、当時の監督官の試験は司法試験・外務省書記試験に匹敵する重さがあったということです。

非常に高い志を持って作られた役職なのですね。

加藤さんは現状を憂えています。

「大きな職務権限と義務を持って労働条件の向上と安定に従事する重要な職業であるが、その職務に応える処遇はなく、一般事務の年功序列の処遇の中に埋没してしまっている。出先の署長になる資格だけが法の定めに残っている以外、監督官試験の意義は全く形骸化し、合格して職務につく尊厳が失われてゆくことに懸念をいだいている。その大方の原因はわかっている。労働基準監督行政が社会一般の高い評価を持続することを期待するならば、一部の勢力におもねることなく、改善されんことを後世のために付記しておきたい。」

加藤さんは、第一回目の監督官試験に合格した方です。悲喜こもごものエピソードが綴られており、監督官の仕事というものの一端を垣間見ることができます。

この本のなかで初めて「チープレイバー」という言葉を知りました。

就業規則なるものが登場したいきさつや、ホワイトカラーエグゼンプションについての考えなど、現在の労使間紛争を見るうえで非常に興味深い記述が多いです。

加藤さんは、監督官になったばかりのころ、戦前の工場法や商店法などを勉強したそうですが、旧法は労働者保護とは名ばかりであったということです。

新法はどうでしょうか。労働基準法は刑法なのですが…



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