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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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保育園や幼稚園での仕事というのは、時間通りには終わらないものである。小さな子供が相手なので、ある程度仕方のない部分もある。だが、突発的な出来事ばかりで時間外労働が多いというわけでもない。子どもと直接接する以外に、毎日の保育準備や行事の準備、クラスの装飾・インテリアの創作に時間を取られていることが非常に多い。
こういったものを簡略化することで時間外労働は減らすことができる。簡略化というと聞こえが悪く、保育サービスの低下につながるのではないかと懸念されたりするが、当たり前のように時間をかけてやっていたことを見直すだけである。
形骸化され、目的がはっきりしない行事はないか。保育雑誌からそっくり模倣したような手のこんだ時間のかかる、それでいて陳腐な装飾は必要か。保護者が読むクラスだよりにイラストがそれほど必要か。日誌などの記録に関して書き方や時間のルールがあるか。
慣行となっているだけで、全く保育の質の向上につながっていないものが多いはずである。
日々の保育業務で手いっぱいで、振り返る時間もないかもしれないが、一度自分の働き方を見直してほしい。
主任保育士や園長などは、自分たちのやり方が非効率ではないか、不合理なところがないか、自分自身のためにも見直してほしい。後輩保育士の声を今どきの子は…と批判する前に、なぜそう思うのかといった本人の気持ちや考えを聞いてあげてほしい。
行事や装飾よりも、保育士からのちょっとした我が子の報告のほうがどれほど嬉しいだろう。手の込んだ装飾の代わりに、子どもたちが毎日「先生にプレゼント!」と言って摘んでいく季節の花が様々な空き容器に活けられているのを見るのはとても楽しい。オタマジャクシやカエル、どじょうやメダカ、トカゲやクワガタ・カブトムシが共生する園は楽しい。
我が家の娘は毎日「~~先生が」「どうした、こうした」と嬉しそうに話す。子どもたちにとって、保育士はとても身近な大切な存在である。そのような人たちが低賃金で蔑ろにされていいはずがない。待機児童さえ解消されればそれでいいわけではない。預かってくれればそれでいいのではない。
限られた資金を自らの意志で有効に使ってもらいたい。
制度がどのように変わろうが、保育は消費サービスではない。