忍者ブログ
記事タイトル一覧
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


「罪を憎んで人を憎まず」ということわざがある。

人が罪を犯す理由には、そのような悪い結果になってしまうまでに、それなりの事情があり、人そのものを憎むのではなく、その罪に至るまでの心の中で生まれていった悪い思いを憎むべき、ということです。孔子の言葉だそうです。

わかっちゃいるけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、人を憎まずどころかその憎い人が使った物や好きな物・人までが憎たらしくなってしまうものです。

人事考課が難しいのも同じようなことかなと思います。

人物ではなく、職務を評価する。

言うは易く行うは難しです。

そもそも「職務」というものが労働契約上定まっていないことが多く、定まってはいてもそれほど厳格ではなくゆるかったりするので、「職務」そのものを評価するという発想自体がないわけです。そこには、どうしても「人物」評価が入り込んでしまいます。というか、そっちが主体だったりします。そうなると、当然ながら評価は恣意的、つまり「でたらめ」「好き勝手」「てんでばらばら」になってしまいます。サービス業が労働の主流を占め、製造業までがサービス業的であることが求められている現在、特に対人援助サービス業などは、職務評価が難しいのではないかと思います。それぞれが自分の「思い」をダイレクトに評価基準としてしまいがちです。

その一方でチームワーク、コミュニケーションというものが声高に叫ばれ介護・保育系セミナーなどのテーマとして人気です。数時間~数十時間のセミナーの受講でチームワークやコミュニケーション能力がどうこうなるわけではないのですが、労使共に飛びつきたくなるテーマのようです。

曖昧でふわふわした「なんとなくいいかんじ」がウケているのかもしれません。そういうのも時にはいいと思います。ただ、そっちに重点を置きすぎるのはいけません。

時間がかかっても、頓挫しそうになっても、着実に「職務」に向き合い、制度を構築していくしかないと思います。

人を憎まずって、ほんと難しいです!

PR
アミューズメント型デイサービスというものがあるらしい。正式名称ではなく、マージャンやルーレット・トランプなどの遊戯をリハビリに取り入れている介護保険施設である。

お金を賭けているわけではないのだからいいじゃないか、ただ単にレクリエーションとしてやっているだけなのに何が問題なのか?と思わないこともないが、神戸市がこのようなデイサービス(介護保険制度のもとでの通所介護)は問題ありとして、条例で規制をかけようとしている。

マージャンやカードゲームなどの遊戯に特化した設備を備えて、あたかも遊技場のような雰囲気のなかで、遊戯を機能訓練の主体とするのは介護保険法に基づく適正なサービスとは言えない。疑似通貨の使用は利用者の射幸心をそそり、そのことがもっぱら機能訓練の動機づけになり、過剰なサービスや不必要なサービスにつながる。このようなことを神戸市は懸念している。
 
リハビリの一環として賭博性のある遊戯を取り入れるのは別にいいんじゃないかと思います。それらの遊戯が主体だとしても、ダメとも言えないんじゃないですか。

でもなんで介護保険?と思います。介護保険という公的社会保険の枠の中でやる必要がどこにある?って思います。介護保険外の、通常の商売の枠でやればいいんじゃないか?

介護支援netの本間清文さんが常々指摘していますが、公的な制度に営利企業を参加させれば、利益を出すためには何でもあり的なことが起きてしまいます。それでも適正な競争によっていいものが生まれる、民間企業ならではのアイデアが出てくるなどと、いいことづくめのように宣伝し、参入を促しきたわけです。

国のそういった政策を受けてコンサル会社などが「儲かりまっせ」「やるなら今でっせ」と煽って、それを真に受けた人がじゃんじゃん起業なんかしちゃって、全然儲からずに、登った梯子は気づけばなくなり、降りるに降りられず…ではないですか。

機能訓練特化型デイサービスをすすめるコンサル会社のパンフレットを読むと、誰でも簡単にできる・需要に対しまだまだ供給が足りない・収益率高いなどといいことづくしのことが書いてありますが、やはり思います。なんでここに介護保険の財源を使う?

フィットネスのカーブスにやらせりゃいいんじゃないか?ド素人がやってうまくいくんならプロのカーブスはもっとうまいことやるよ。

アミューズメント型デイサービスは介護保険外で勝手にやってればいいんです。
美容業界は浮沈が激しく、開業と廃業が毎年1万店舗前後に及ぶといいます。さらに、昨今の不況の影響で、顧客のし烈な争奪戦が繰り広げられているようです。

美容業界は従業員の定着率が低く、美容師は自分の技術に自信を持つと店を転々とするみたいです。従業員を定着させることが課題のようにも思えますが、定着=よいこと、と単純には言えないです。

また、リピーターの確保も経営上課題かと思いますが、これも必ずしもリピーターが多い=よい、とも言えないのではないかと思います。

私は1回しか行かない美容院というのはほとんどないのですが、3~8回ぐらいで別のところに変えます。職場から近かったのが、転職で遠くなったから行かなくなったとかいうのもなかにはあるのですが、多くの場合はただ単に「他のところに変えたくなった」というのが理由です。平たく言えば飽きたということですが。

美容師さんも何度か顔を合わせているうちに保守的になり、客として物足りなくなってきます。自分の嗜好をわかってくれ、配慮を感じるのですが、それがかえって刺激をなくし日常化させてしまうのです。自分が求めているものが得られなくなってくるのですね。

年配の男性などは「いつもと同じ」「安心」が理容店を変えない理由なのかもしれませんが、女性の多くはリフレッシュやリラックス、ファッション要素など様々な理由で美容院をよく変えているのではないかと思います。なので、顧客に応じた戦略というのがやはり必要なんですね。当たり前か。で、思うのです。労働条件や人間関係が悪すぎてあまりにも短期間で辞めてしまうのは問題ですが、3~5年サイクルならむしろいいのではないかと思います。

向上心がなくなってきているな、マンネリ化してきているな、惰性が見えてきたな、そう思ったら(自分の店の方針にそわなくなってきたなと思ったら)今後のことを美容師さんと話し合わないといけないと思います。

その結果、退職という結果になるのなら経営者・働く人・お客さんすべてにとってよいことであると思います。

美容師を育ててくれるのはお客様、スタッフが心をこめて持てる限りの技術を発揮すれば、お客様はリピーターとなる。ある経営者の言葉です。

リピーターは大切ですが、客が美容院を変える理由は様々です。失礼がなかったか、技術に問題はなかったかなどの反省は当然必要ですが、客の求めるものと自分たちが提供できるものにギャップがあったのではないか、今後どのような戦略で行けばいいのか、など前向きに考えたらいいと思います。







育児休業の間育児と家事に専念するだけではなく、キャリアアップを目指し、講座などで勉強する女性が目立ってきた。

新聞の切り抜きを整理していたら先月7月の読売新聞の記事が目に留まった。女性記者が書いた育休期間中に積極的にキャリアップに向けて学ぶ女性についての記事であるが、「育児と家事に専念」という言葉に違和感をもった。

育休だから会社で仕事はしていないだろうが、「育児と家事に専念」とはどういう意味なのだろうか。

記事の中では、「短時間で成果が出せるスキルを身に付けよう」と、ビジネススクール・ワーキングママ大学(時間に制約があるなかでも力を発揮し、リーダーとなれる人材になるための方法を教える)に通う女性や、社員向けのオンライン講座(ビジネススキルやご語学を無料で受けられる)を受ける女性が紹介されている。

ビジネススクール・ワーキングママ大学は大手企業の幹部や経営コンサルタントなどが講師を務め、1コースは3か月で全6回、98,000円から。託児は別料金。働く母親たちが企画し、昨年開講したそうだ。けっこうなことである。

このようなことをしていない育休中の女性を「家事と育児に専念」しているというのだろうか?つまり、子守とちょこっと家のことをしている他はテレビを見たりメールなどをして時間をつぶしているだけと言っているのだろうか?

だって、家事と育児に専念したところで、時間が余るのは誰だってわかりきっていることだし。

なんか、いつまでも元気を強要されて筋トレやリハビリを奨励されている老人と変わんないな。しかも、家事や草取りなどは「みえない」し「カネがかかってない」ので、評価されないし…

育休中の女性が対象の「育休プチMBA勉強会」を主宰する大学の先生は、育休中に学べる環境があれば、子どもを持ってもキャリアを諦めない女性が増えるはず、と期待しています。

夫に家事分担を促す講座もあるそうです。ありがたくもおめでたいことです。

根性がねじ曲がっているのが原因に違いないが、このての話に私はうんざりです。

自己啓発だのキャリアアップだの効率化だのみえる化だのには心底うんざりきます。

オンライン講座は音声を消して字幕を飛ばし読みするのが最も効率的で、10万の講座は受講した人から愚痴を聞くのが最も効率的です。

ぐうたらしている若いもんに対し、一生懸命勉強したらいい仕事に就けて、そしたらのんびり悠々自適の老後が送れて…と叱咤激励したら、だから今こうしてのんびりしてるじゃないか、と反論する落語がありましたが、自己啓発してキャリアアップして、いい給料もらって、そいで何?って思います。

きのうのんびりしていて、気が付いたら保育園のお迎えの時間で、道草食って暗くなり、まだ「あそぼ~」とせがまれ、時間が消えたことに腹が立っているので八つ当たりしました。


5分の遅刻に対して30分の賃金カット。

なぜこれが可能なのか。なぜ賃金全額払いに反しないのか。

制裁として就業規則に規程するなら、制限内(1回の制裁につき日給の半分を超えないとか)で可能ということだ。

では、制裁でなかったらどうなのか。例えば給与計算を15分、30分単位でしており、その関係上5分10分の遅刻が15分30分の賃金カットとなるとしたら?これは違法なのだろうか?15分や30分の遅刻は大目に見てカットなしなら問題はないだろうが…もし違法なら、違法にしないためにわざわざ制裁として規程するのか?

制裁ならば制限内で可能と言うが、(なぜ会社による制裁が可能なのかはわからない。だが、認められているからこそ制限がつくのである)賠償予定の禁止に反しないのだろうか。これも制裁であれば、債務不履行の際の違約金とは異なり可能なのか?

9時から就業するのが約束であれば、遅刻は債務の不完全不履行である。禁じられていなければ違約金を支払わせればいいだろう。不注意による遅刻やなんらかの事情があっての遅刻であっても同じだ。だが、それだと「制裁」はできない。(対等な立場で契約を締結しておきながら相手に制裁を科すというのもおかしなものだが)。一方、不注意による遅刻であってもたび重なったり、あるいは無断ということであれば「制裁」というのも必要かもしれない。

だが、この異なる事情による遅刻(早退・欠勤)がいっしょくたにされ実際の不労時間よりも多く賃金カットされているのは問題ではないだろうか。

労働契約という個人的な事柄に就業規則という集団的なものが加わると、混乱してしまいどう整理していいのかわからなくなる。労働契約法はそこにさらに拍車をかけているようで、ますます混乱する。

就業規則は労働契約に優先する。しかし、就業規則よりも有利な条件の労働契約であれば別。
就業規則≒労働契約。なんぞげに思ってますが、なぜこれがまかりとおるのか、私は説明できないです。実のところちっともわからないのです。

なんで就業規則が労働契約の内容となるのだろう?

プロフィール

HN:
みょうみょう
性別:
非公開

 

カテゴリー

 

P R

 

記事一覧