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クレジットカードの少額利用で、信用情報機関の事故情報に登録される人が後を絶たないというブログ記事がありました。

債権回収歴15年の社労士の方が書いています。

最近はなんでもカード決済が可能で(というか、カードじゃないと購入できないものが多い)100円単位で使ったりするので、支払いが数千円など少額のこともある。カードを使用したことを忘れてしまって、明細書が来てても見落としたり(WEB明細なので見てなかったり)カード会社からメールが来てても見落としたり、電話があっても見覚えのない番号なので無視したり。カード会社も少額なので督促にそれほど熱心ではなく、それでいて、90日経過したからブラックリストに載せて、金融機関すべてが共有する信用情報なので、5年間は教育ローンや住宅ローンなどあらゆるローンが組めない。なので、クレジットカードやローンなど、お金についてみなさんちゃんと勉強しましょう、という内容なのですが。

実は私もカードでネットショッピングをしていて、金額を見間違って引き落とされなかったことがありました。数千円のことです。引っ越しと重なっていて、住所変更の届け出も忘れていました。なので、1年後かなり久しぶりに地銀のカードローンを使おうとして使えず、そこでようやくどういう事態かわかりました。

UFJの引き落としができなかったのが発端ですが、説明を求めたUFJの窓口では「あ~、これ使えませんね。新しいカードおつくりします」と言われ、ちゃんちゃんと手続きをさせられました。カードローンが使えなくなっていることに関しては、「カード決済ができてませんね。」だけでした。

信用情報のことやCIC,銀行の定款のことなど、すべての説明をしてくれたのは地銀でした。融資課長さんが、あたりをはばかりながら、腰を浮かせて私の耳元で「ぶっちゃけ、貸し倒れ状態になっています。お話を聞くと大した金額ではないようですが、一旦こうなってしまうと、この状態をなんとかしないとすべてに影響が出ます」とのことでした。

カードローンが使えないのは困るなぁと思い、事情を説明し、督促の情報なども得て、なんかしようと思っていたのですが、面倒くさくてやめました。

カードローンやクレジットカードが使えなくて今はむしろよかったと思っているくらいです。そりゃ、使わなくても生活できる環境があったからですが、使わなくてもいいのに使って破滅している人が圧倒的に多いことを思うと、やはり簡単に使えすぎると思います。誰も頼る人がいなくて…という人もいるかもしれませんが、親に頼むといろいろ聞かれてうるさいとか、頭を下げたくないとかで、つい簡単なローンや消費者金融に頼っているのではないでしょうか。

UFJの対応から思ったことは、今後は気を付けようじゃなく、二度と使うかボケ!です。教育ローンが使えなくて困ると言うが、バカ田大学にどうしても行かせなければならないのか?大学に行かねば学べないとでもいうのか?住宅ローンが組めないと言うが、ローンを組んでまで粗悪な我が家が欲しいのか?

同じ穴のむじなのくせに、他人どうしのような顔をして信用情報を共有していることに対して恐ろしいとは思わないのか?何が気を付けようだ。マイナンバーも便利なことでとありがたがっているのだろうか。

クレジットやローンは二度と使うかボケ!が正しい対処です。

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休日と休暇の違いってなんだろう?どっちでもいいように思うが、労働関係の法律上はどっちでもいい、同じというわけではない。

1~3日の短いのが休日で、それ以上の長いのが休暇なのかな?でも、有給休暇は1日でも休暇だし、時間単位なら1日にもならないじゃないか。それに、特別休暇とか言ってる慶弔休暇も1日の場合がある。

はて、どこがどう違うのか?

元労働基準監督官の安西愈(まさる)弁護士の『トップミドルのための採用から退職までの法律知識』によると、「休日」とは、労働義務のない非労働日であり、したがって所定労働時間というものがない。会社が労働者に与えなければならない義務である。休日の増加は所定労働時間に短縮になり、時間給がアップする。一方、「休暇」とは、労働義務のある日につき労働の義務を免除するもの。したがってその日は所定労働時間というものがある。労働者の請求に基づき会社が与えなければならないもの、または与えてもよいもの。休暇の増加によって所定労働時間が減るわけではなく、時間給は変わらない。

なるほど。そういえば就業規則でも「休日」と「休暇」はきっちりわけてあります。所定休暇とかってなってないもの…いったいどこに目がついとるんやろ?あんたの職業いったいなんや?と思うわ。(自分ツッコミ)社労士に更新制度がなくて助かったわ。あったほうが世のため人のためになるかも…

長いとか短いとか、そんななんとなくのかんじで決めていいわけじゃないんですね。(当たり前やん!)

休日と休暇の定義がはっきりわかっていないと、年次有給休暇の時間単位や振り替え、代休、代替休暇だってわからないです。

時間単位と聞くと頭を抱えたくなっていたのはそのせいだったんですね!

安西先生、ありがとうございます。

家電量販店がひしめくエリアで、「電化製品をどこよりも高く売ります」をモットーに利益を上げている町の電気屋さんがあるそうです。

値段が高いにも関わらず大繁盛とか。なぜか?

ターゲット層をシニアに絞り込み、日常生活の小さな困りごとにも対応する。この2点。

郊外の小さな電気店だけに、若者はまず来てくれない。そこで逆転の発想。いっそのこと顧客をシニア層に絞りこんだ。すると、どのようなサービスが望まれているのかはっきりした。

店の名刺の裏には「裏サービス無料」の文字が。

蛍光灯の取り換え、エアコンのフィルター掃除、留守中の植木の水やり、出かける際の郵便物の預かりなど、小さなことながら一つ一つの頼みごとに応えることで、大きな安心感が育つ。

(青春新書「安売りしない”町の電気屋さん”が繁盛している秘密」より)

私もシニアを自覚しているので、安くなくてもいいし、アフターサービスはもちろんのこと、買うときに使い方を教えてくれる電気屋さんがいい。ヤマダ電気とかだと気兼ねで聞けないもの。安い
製品を買うのに長々店員に説明させるのは気が引ける。

「安売りしない町の電気屋さん」の著者・跡田直澄さんは、価格競争はできなくても、サービスでは勝負できるはず。どのような商売であれ、工夫する余地は残っていると言います。

国がマクロ経済を成長させようとすると、ある意味弱者切り捨ての成長戦略が採られることもある。この時、民間の側がどのように対応していくのか。取り残されて不平不満ばかりがたまるのか。自分たちでなんとかしようとの気概で立ち上がるのか。

現実から逃げるのではなく、あきらめて妥協するのでもなく、自分がすべきことをする。

反対反対と唱えるだけではなく、片手で拳を振り上げながら、もう一方の手でしっかり別の道を模索するという、特に目新しくもなく、古今東西多くの人が生き延びてきたやり方を、現代の与えられることに慣れきった国の人間は忘れています。

マイナンバー、いらんわそんなもん。だけど、対処しなくちゃね。

有給休暇って、昔むかしは事業主が従業員に対して「何日あるからちゃんと取りなさいよ」と言わなきゃいけなかったんですね。義務付けられていたそうです。労働基準法施行規則に規程があったんだそうです。が、昭和29年には削除されたそうで。知りませんでした。濱口桂一郎さんのhamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)にでていました。

有給休暇の取得率は50%に満たないぐらいだが、取得している人としていない人の格差が大きいそうです。ちゃんちゃんと有休を使っている人がいる一方で、後で仕事がたまることを恐れたり、他の人に迷惑がかかることを恐れてひとつも取れない人がいるとか。

私のかつての職場では、取ったもん勝ち・言ったもん勝ちでした。有休の取得ゼロ~1,2回の人が多い中、友人の挙式が海外であるんです~と言って数日の有休を「2回」(2回とも友人の海外挙式…)取ったり、遅刻を有休扱いにしたりする人がいました。事業主は物言わぬ気弱な労働者を徹底して利用する一方で、強気で押してくる労働者に対しては、言われるまま、されるがままになっていました。言うまでもなく被害者は事業主ではなく、同じ労働者です。

強制的な計画付与については思うところがいくつかありますが、5日間に限定しているのと、自ら申し出ることを前提とした場合、上記のようなことが起きてしまうことを考えれば、妥当な措置と言わざるを得ないです。

労働者が自分の権利を主張できない、権利を知らない、遠慮や恐れから事業主に何も言えない、だから法律で保護するという考えかもしれませんが、それだけではないです。経営者でありながら従業員を統率できない、その結果従業員が損害を被る。だから、法律で保護するとも言えます。

社会保険労務士はまだまだ活躍できていないといえる。

認知症は早期発見早期治療が要だそうだ。予防がイチバンだとか。

言いたいことはわかる。

私は身内に認知症になった人間がまだいないので、関わる人間の苦労を十分に知っているとは言えない。介護の仕事をとおして知っているだけである。在宅で支える家族も、施設で仕事として世話をするワーカーにしても、寝たきりの人よりもむしろ心労が大きい。本当にたいへんだと思う。なので予防や早期発見早期治療は大切なことだと思う。

しかし、それにしてもと思う。

認知症に対する恐怖や嫌悪があまりにもひどい。長生きすればリスク要因として大きいにもかかわらず、毛嫌いしている。認知症になるぐらいなら早死にしたほうがマシとまで言われると、今生きている認知症の人を否定していることになり、自分までが否定されたような気持ちになってしまう。だって、私は今でも認知症みたいなところがあるし、それでもおいしいものを食べたり、面白い体験をしたり、楽しい気分でいたいと思うから。

自分年齢や娘や息子の顔を忘れたからって一巻の終わりって、ずいぶん料簡が狭くないか?

私が介護の仕事で出会った認知症の人たちは、「認知症であること」で不幸だったとは思いません。幸せそうな人もそうでない人もいたけど、認知症とはあまり関係がなかったと思います。


それなのに、認知症をこれほど恐れ忌み嫌うのは若年者の奢りのように思います。

認知症になってすべてを忘れたとしても、その人の人生はなくなりません。功績をなした人がボケると、「昔あれほど優秀な人だったのにね~」などと陰口を言われたりしますが、その人の功績は変わらないのです。

認知症に限らず、介護問題!とか銘打って、日本人の長生きを大問題扱いしていますが、本当のところ何が問題なのだろうか。介護職の不足というが、世間の大騒ぎには釈然としないものがある。穴のあいた入れ物に、どんどん水を注ぎこんでいては永遠に水は溜まらないのだが…

最後にアメリカの詩人・ロングフェローの老いを称える詩を紹介します。

老いは、装いこそ違え、青春に勝るとも劣らぬ好機なり。あたかも、黄昏過ぎし夜空に、白昼隠れて見えぬ星の、満点に輝けるに似たり。

40代50代60代の方でこのような心境の方がどれだけいるでしょうか。

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みょうみょう
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