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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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雇用されている労働者は労働の途中に休憩が与えられる。(休憩がない。と言う労働者もいるが…もちろん違法!!)
労働時間に応じて45分だったり1時間だったり。これは最低の基準なので多くてもよい。もっとも、休憩時間は無給であることが普通なので多くもらっても困ることが多い。終業時間が遅くなったり
給料が減ったり…
私は45分がちょうどよく(30分でもかまわないのだが…)、1時間だと持て余してしまう。かつて繁華街に近い場所で勤務していたとき、1時間半の休憩のことがあったがこれは嬉しかった。環境など諸事情によっても違うのである。
辺鄙な場所で過ごす場所もないのでは1時間の休憩は正直なところ苦痛であったりする。
今現在、月に10日の役所勤務であるが、1時間の休憩がもったいなく、かつ苦痛である。
小部屋のようなところで持参のお弁当を食べた後は、天気が悪くなければ周辺をぶらぶらするが、つまらない。休憩は一斉で時間も決まっている。30分で切り上げて早く帰宅したいというのが正直なところである。
ところで、休憩は使用者が労働者に与えなければならないものだが、その上限(何時間与えるか)はドライバー以外に制限はないようだ。業務の都合で3~4時間休憩というのはありなのだろうか。飲食店ではよくあることと思うのだが、社会通念上相当の理由だとか、公序良俗に反しないとかそういう基準なのだろうか。
昼と夜の営業のため休憩がいつも3~4時間あるのはなんとなくいいかんじがするが、人件費や繁閑の関係である日の休憩が3~4時間になってしまうのはなんとなくダメなかんじがする。
休憩の与え方については、規定されていない部分において使用者の裁量でいいのだが、それってどうですかね!!という与え方もみかけます。
休憩に関しては雇用されている労働者でもいろんな考え方があります。
忙しいときにきっちり規定通りの休憩を取ったといって怒る人とかも…
テレワークだみなしだ裁量だ高度プロフェッショナルだと「多様な」働き方が出てくると今後休憩の取り方も変わってくると思います。
休憩時間30分にならないかなぁ
昨夜は雲がなく、宵の口にのぼったまんまるい月が家の前からくっきりと見えた。一昨夜のスーパームーンは生憎の曇り空で、時々雲の切れ間に顔を出す程度であった。しかし、澄み切った夜空に輝く月よりもむしろ風情があってよかったように思う。
丹下左膳に出てくる五百石の悪旗本・鈴川源十郎は月見をしない。
下女のさよばあさんが「殿、いい月でございますねえ」と戸を開けても「俺は月は嫌いだ」と、にべもなくはねつける。理由を聞かれ、「なぜでも嫌いだ。月を見るともの思う。ものを思えば心が苦しくなる。そのせいかもしれん」と答える。さよばあさんにすれば悪党であっても仕えている主人である。「お別れになった奥様のことでも思い出して、おさびしくなるのでございましょうよ」と言う。鈴源が月を見たくないのは、己の悪事を照らすからであると思われるが…悪党も人間であるということか。ものを思わぬ善人が多い世の中だが…
古代より月を見て人はいろんなことを思ったのだろう。月を詠んだ歌や詩は多い。月はどの国にも控えめな光を落とすが、とりわけ東洋の人間になにかを考えさせるようだ。
明け方、西の空に沈みゆく梅干しや提灯のように赤い月や、夕方に西のほうにはかなげに漂う三日月、真昼にとけかかった飴のように浮かんでいる白く少し欠けた月、真夜中にカーテンを閉め忘れた窓から煌々と部屋の中を照らす月…
月にはいろんな姿があり、人間の詩心を刺激するのかもしれない。
私は薄雲のかかった月が好きである。月の光が雲によってひろく拡散するさまがなにか希望を思わせる。
勤務時間を1~2時間前倒しにして働くことを「ゆう活」といい、夕方を楽しく活かす働き方という意味だそうです。国家公務員の多くがこの制度を活用したとか。
自分には関係ないことなので横目で見てただけですが、5時から男がちょっと早くなったやつか?無責任男の復活か?とちょっと可笑しくもありました。
子どものいる女性でゆう活ができる人は少ないと思います。でも旦那がゆう活で朝いなくて夕方保育園や学童の送迎をしてくれて食事の準備や後片付け、こどもの入浴や寝かしつけといったことをしてくれるのはありがたいです。朝早くに出かけてゆう活で趣味を楽しみ帰宅は午前様がラクでいい、仕事してくれりゃもっといい、という奥さんもいるかもしれません。
神戸大学教授の大内信伸哉さんが、『ビジネスガイド』9月号のなかで、朝方勤務のゆう活をすごく推奨していました。伊藤忠の導入例を挙げ、早朝勤務にインセンティブとして割増賃金を支払うなど斬新的なアイデアであると絶賛しています。
朝の時間帯を家事や育児にあてている人もいるのでゆう活にも問題点があるとしていますが、なんか小さな問題みたいに言われています…
保育園や幼稚園、小学校はそれほど多様ではありません。バラエティに富んでいません。むしろ硬直的です。子どもがいる家庭では、誰かが朝を子どもの世話にあてなければいけません。
伊藤忠の早朝割増し賃金は斬新かもしれませんが、独身の人や育児や介護をしない人にとってはチャンスですが、朝に会社に行けない人にとっては不公平です。
私は夕方を楽しむゆう活よりも、朝の出勤前に楽しむ朝活のほうが合っているな。人それぞれなので、いろんな働き方が可能になるのは嬉しいことですが、最近の流行りである「多様性」を錦の御旗にして押し付けられるのはいやです。「多様性」もかなり押し付けられていますが…押し付けられないと、風見鶏が身に付いた人間には安心できないのかもしれない…