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我が家では9月の末頃からストーブを出しているものがいた…(夫)

9月はさすがに早すぎるが、しかし。いつもの年よりも寒いのは確かである。10月の終わりは通常なら薄手であってもコートなど着ないし、ニット帽も使用しない。特に寒がりというわけでもない私が、昨日はコートを着てニット帽をかぶって出かけた。日中であっても日が差さなければひどく寒く、木々の葉は色づくと同時に散り始めている。

気候の異変を訴えたいのではない。

言いたいことは、こんなに寒いのに10月はまだ「クールビズ実施期間中」であるということなんです!!

別にそれはいいんです。例年であれば10月もけっこう暑い日がありますし。

ただですね、実際に寒い暑いはともかくとして、クールビズの趣旨はなにかってことなんです、言いたいのは。

本来であれば、ビジネスの場では上着・ネクタイなど仕事用の正装が求められるわけですが、夏場は暑いので節電・環境エコのため温度設定を高めにしますので、その分ややラフな格好で執務いたしますが、勘弁してね。大目に見てね。ってことですよね。

クールビズ実施期間中だからって暑くもないのに、ノーネクタイ・ノージャケットなのはよくないんではないかと思うのです。ラフな格好をしなきゃいけないのではなく、してもいいですよってことなんですが、完全本末転倒化しています。

いつもはシャツだけの人がある日スーツ姿だったので、会議でもあるのかな、お出かけかなと思ったのですが、そうではなく本来の姿に戻っただけでした。ちゃんと自分で判断している人もいるわけです。

一方で、この暑くもない季節に相変わらずのラフな格好で、お客さんから「なんだその恰好は。ネクタイもしないで!こっちはスーツ着てんのに。バカにしてるのか!」と叱られてる人も…クールビズ中ですからと言ったって暑くもないんですから相手は納得しません。

お上の了解を得て堂々とラフな格好をしてるわけですが、なかなか通用しません…

いっそのことクールビスだとかウォームビズだとかじゃなく、服装を簡素化したらいいのに…と思わないでもないですが、女性でさえ混乱気味なのに男性がスーツ禁になったらどうなることか…

やれって言われたから、いいって言われたから…

クールビズに限りません。ハイハイ言ってりゃラクかと言えばそうでもなく、自分で考えろ、自分で判断しろとか要求してきたりしますから、ハイハイと言っとけばいいときか、自分で判断しなきゃいけないときかも判断しなけりゃいけないんですね!

ところで。

ウォームビズって、ニット帽やパーカーで仕事してもいいんだったっけ?
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自分がそこに勤務し始める前は、合同庁舎などたいした用事もなければ関心もない場所であった。税務署やら労働局やら法務局やらがごちゃごちゃと入った古くて暗い建物ぐらいの認識であった。

時々用事で出かけたときも、整理整頓のなってない雑多なかんじがしただけだ。

月に数回とはいえ1日の大半を過ごしてみると、来庁者であったころとは別の思いも当然ながら出てくる。

私は1時間の休憩が無駄に思えてもったいなく、また苦痛でもある。身を置く場所がないのである。手持無沙汰に近くのコンビニへ行ってみたり、ぶらぶら歩いてみたりはするが、天気が悪いとそれもできない。普段あまり目にすることのない業界新聞などがあるので、そういうものを読むことはできるが、なにせ狭苦しい。息が詰まりそうになる。他の人の話にもついていけないし…

来庁者のためのソファー・ベンチは行く場所のない職員に占領されている。昼の休憩時間は閉店後の店舗のように電気を落として暗いとはいえ、来庁者があれば対応をしている。お客さんはちょっと座ろうかと思っても場所がない。

役所というのはとにかく、何をしているのか定かではない人が多い。(私もその一人…)非正規職員なる者も民間に負けず劣らず多い。ヒマを持てあました人間が休憩時間に来客用のいすを占領している。勤務時間もヒマを持て余しているのだろうが、一応あてがわれている自分の席にしがみついてなにかしらをしている。

不景気な光景である。

一納税者として「もったいないなぁ」と思うこともある。

ヒマだと他人のことが気になるのは誰でも同じことで、噂話がかしましい。それらを批判するほど高潔なものは持ち合わせていないが、面白いからといって鼻をひくつかせて適当に相槌をうったり、適当なコメントを無責任に発していると、思わぬ火の粉をかぶることになる。

こういったことも経験として面白くないこともないが、いずれ埋没してしまうのではないかと暗い予感がしてしまう。やはり期間を区切っていいかげんのところででなければまずい。

休憩時間を45分にして15分早く帰れないかな…




NHKあさいちでの「ブラックパート特集」に大きな反響があったということをネットニュースで知った。

事前のアンケートでは「突然クビになった」「残業代が出ない」「社会保険に入れてもらえない」という悩みが多かったそうだ。


ある40代の女性は仏具店で、正社員の店長ともう一人のパートと働いていました。店長は別の店と兼任となり、ほとんど顔を出さなくなり、もう一人のパートは辞めてしまいました。店の準備から電話対応、接客すべてを一人でしなくてはいけなくなりました。一人では無理だと店長に訴えるが、「こっちは忙しい。そんなことは自分で考えてやって」と丸投げされました。1か月後新しいパートが入ったが、その教育も任されさらに多忙に。せめてクレーム対応だけでもしてほしいと店長に訴えるが、「たとえパートでも、売った人が対応すべき」と言われ、店長の責任を問いただしたところ、「俺は責任負わない」ときっぱり言われてしまいます。
それから2か月経ち、新人も仕事を覚え、さらに2人のパートも入ったところで、なんの相談もなく、月14日の勤務が10日に減らされました。店長に訴えるが「あんたシフトに入れづらい」「来月からシフト入れられないよ」と言われ、結局クビになったということです。

零細企業なんてこんなもの。そう思うかもしれない。でも、かつて友人から聞いた有名大手企業の話もこれとよーく似ていました。

瀕死の状態の企業の再建を任され、立て直したところでお払い箱に…

アメリカの企業ではよくあることかと思っていました。

日本ではパートさんが無理やり責任を押しつけられて否応なくやらされ、用がなくなったらポイと放り出されているのですね。

かつて大手ファーストフードチェーン店で主婦クルーをしていたとき、やはりある主婦の方がすごくこき使われていました。責任感が強く、なんでそこまで!?と思うほど店に貢献していました。社員も他の主婦クルーとはあきらかに違う対応をしていました。「こいつは使える。使いまわせる」と思っていたようで、飴と鞭を使い分けながら思う存分こき使っていました。他の主婦クルーが本人に「そこまですることない」「いいかげんにしたらどうか」「家のことは大丈夫なのか」と何度も言ってみたが無駄だった。

隷属的な働き方になってしまう人はパートに限らず多い。

法律だけの問題ではない。

どこからどのように手を付けたらいいのかと途方に暮れる問題でもある…

マイバッグ、マイカップ、マイナンバー…マイとつくからには自分のものである。

マイバッグもマイカップも自分で管理しているはずだ。飲み終わったマイカップをスタバやコンビニに持って行って「洗って下さい」とは言わないだろ?(たぶん)マイバッグだって店に置きっぱなしにして「私のマイバッグありますか~」ではなく、自分の家や車などに置いてるはずである。(たぶん)

それに比べマイナンバーはどうだ?同じマイ仲間のくせに、振り当てられる当人たちはどこ吹く風で、その「マイナンバー」を取り扱わなきゃならない企業やその委託を受ける社労士や税理士などが上を下への大騒ぎで口角泡を飛ばして、どうするこうするとやってるじゃないか。

企業は取り扱い事業者として管理義務を負ってるといったところで、いつのまにやらこんなことになって…社労士はセキュリティセキュリティって口を開けばそればっかし、結局カネがかかるってことか、なんでそのカネをうちが負担しなきゃならないんだ…という気持ちが大きいと思います。

従業員がマイナンバーの提供を拒否したらどうすんだ?別に書かなくても手続きはできるのか?もしできるならわざわざ聞かなくてもいいじゃないか…

従業員の提供義務の心配は確かにありますが、それよりもいざ集めようと思ったときに「へっ??マイナンバ?」「あーーー、なんか聞いたことありますが…」「会社に届いてるもんと思ってましたが…」とか「いや、急に言われてもすぐに準備は…」「大事なことなら前もって言ってくださいよ。DMと間違えて捨てたかもしれません」とか言われる可能性の方が大きいような…

企業は従業員のマイナンバーを収集する義務があるのに、従業員には提供の義務がないって…ストレスなんとかもそうだったっけ…?

マイナンバーで税や社会保障の手続きがスムーズになり、公平性が実現できるってんなら、会社がなぜかやらされている源泉徴収だの、社会保険の手続きだのを従業員がやることにすればいいんでないの?

なんで従業員の「マイナンバー」のことで会社が右往左往してるんだろう。

ビジネスチャンスなどと言ってる場合だろうか?少なくとも社労士は…

マイナンバーなどというよくわからない名称をへんちくりんなうさちゃんマークで親しみを持たせて押し付けられてビジネスチャンスとありがたがってるのはややおめでたい

娘が来年小学校に入るので就学前検診とやらに行ってきた。子どもたちが検査を受けている間に親たちは校長先生や教育委員会の話を聞くのである。

学校職員から給食費やPTA会費など学納金のことや制服や体操服のことなどをこまごま(小さな声で…)聞き、教育委員からは支援費のことなどを聞くうち(こどもの発表会のような大きな声で、ですっ!ますっ!とややうるさかった…)自分の小学校時代を思い出してため息がでそうになった。

ため息をついてる場合ではない。

小学校は理不尽な人生の始まりである。小学校生活は前哨戦といえども、子どもはまだ小さいので親にとっては主戦とも言える。何かと出て行かなければならない場面が多い。

学校の先生は、忙しいのは自分たちだけで親は(特に母親)自分たちほど多忙ではないと思っているのであれこれ注文が多い。

アウトソーシングが進んでいるので丸投げは可能だが…

親になるっていうのは、人生を二度体験することなんだとつくづく思う。

学校での楽しい思い出と言えば、休憩時間と放課後しかない私には厳しい6年間となりそうだ。

小学校1~2年のころはよく漠然と保育園時代を思い出したものだ。お菓子のように甘い楽しい思い出を胸に日々をやり過ごしていたような。あのような楽しい時代は終わったのだとぼんやりながらも感じていた。

母と娘の蜜月も終わりである。

苦難を突き抜けたところに歓喜があるか…うまく言ったものだ。

人生の終わりまで苦難・苦難の連続であろう。

ため息をついてる場合ではない!


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