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知らなければ損をする。闘わなければバカをみる。
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成年後見人研修のなかで、市役所の生活保護課の方の話を聞く機会があった。
最近は生保叩きもややおさまったようだが、一時期は本当にひどく、多くの低所得者が溜飲を下げ、高所得者は自分たちへの妬み嫉み恨みが生保受給者に向かい、ホッとしていたことと思う。
テレビや雑誌でも、役所が本当に生保が必要な弱者を門前払いしている一方で、暴力団などにはよく調べもせず支給して実態も把握せず、不正受給を放置している…といったヒステリックな論調をことさら強調していた。
社会福祉士の大山典宏さんは、元生保ケースワーカーの立場から著書『生活保護VSワーキングプア』のなかで、世間の二極化されたイメージについて、現場の実態を踏まえて説明している。
メディアの流す情報にみなが過剰に反応し、国会議員が乗り出す事態になっていながら、当事者である生保受給者や窓口の職員の声を聞くことがまったくなかった。両者とも口を閉ざしてしまっていることに対し、大山さんはもどかしい思いをしていたようだ。
今回はやや上の立場の方で、直接受給者と関わるというわけではないが、生の声を聞くことができ、とても興味深くかんじた。
・医療費がタダなので、すぐに病院に行く。ジェネリックをすすめてもなかなか使ってくれない。保護を受けるときは歯がボロボロでも保護が外れるときにはきれいな歯になっている。医療を受ける権利があるので、行くなとは言えない…
・今の時代は親が生活できなくなっても子どもは面倒をみようとせず、生活保護受けたら?と言う。親族がいれば連絡はするが、返事はほとんどない。
・石を投げれば保護者に当たる。
・就労指導などは最初に厳しくするのがいいのだが、食うや食わずの状態で保護を受けた人にはなかなか厳しくできず、結局一度甘い汁を吸ったらそこから抜け出すのは難しい。
・子だくさんの世帯だと保護費は50万円以上になる。これだけ稼ぐということはそうそうできない。一家の中で誰も働こうなどと言うものはいなくなる。
人権正義派の弁護士や支援団体が聞いたら「けしからん!」と思うような発言もあります。逆に適正派(確か大山さんがこのように名付けていたような)が聞いたら「そうだそうだ」と賛同する発言です。
でも現場の人の本音がよく出ていると思います。
ケースワーカー1人が100世帯を担当しているそうです。
生保は最後の最後の砦となっているので、支給要件は非常に厳しいのです。制度そのものに大きな問題があるのですが、生保があれだけ大騒ぎされながら、受給者叩きに終わってしまったことは残念でなおかつ大きな問題です。
現場の方の生の声には生保のあり方を考えるうえで貴重なヒントがたくさんあります。今後成年後見人として保護者と関わることもあるかもしれません。現場の方に対し、時にいら立つこともあるかもしれません。それでも何かしらの思いというものがあるはずですので、対話に努めたいと思います。
全国で一番保護数が少ないのは富山県だそうです。市町村単位でも富山市が一番少ないのです。おそらく持ち家率が高いのと、審査が厳しいのがその理由ではないかということでした。
① できるだけ長話をする。
② 成功した自慢話だけを話す。失敗談など絶対にしてはならない。
③ 不利な点の指摘にはすぐに反論し、絶対に責任を認めてはいけない。
これ、どこのなんの常識かわかりますか?
ユネスコ前事務局長の松浦晃一郎さんが、ユネスコで経験した国際社会の常識3か条だそうです。
松浦さんは外務省に入省し、香港総領事や各国大使を経て、99年から2008年までユネスコ事務局長をされていました。
松浦さんが外務省で教わった「日本の常識」は、
① 長話をするな。人の話はよく聞け
② 自慢話をするな。仕事には謙虚であれ。
③ 責任から逃げるな。言い訳をするな。
の3つでした。
ユネスコ幹部の振る舞いを見ると、なにしろ話は長いし、自分に不利なことは言わない。自分の部署で問題があっても他の部署に責任転嫁する…ギャップを感じること再三だったそうです。
松浦さんは、当初はなかなかなじめなかったものの、徐々に、多少時間をオーバーしても言うべきことはきちんと言うようになったようです。ただ、責任逃れに関しては、頑として日本の常識を押しとおし、トップである自分が責任を取るようにしたそうです。そして、それはたとえ「世界の常識」に反していても逆に評価されたということです。
トップが責任を取るのは日本の常識…だとしたら、日本人は世界の常識を真似るようになったということでしょうか。
欧米では自分がミスをしても謝らないのが常識、誤ればミスを認めることになる。日本人はすぐに謝るからなめられる。こんなことをまことしやかに言う人もいます。
松浦さんは世界の常識に飲み込まれることなく、日本の常識に固執することもなく、世界の荒波を見事泳ぎ切りました。
そんな松浦さんが、日本の将来をとてもとても心配して憂えています。
日本全体が内向きになっている。さらに心配なのは若い人の内向き思考。
いまだに日本人は国内問題を、国内的な観点のみで処理できると考える向きがある。実際はそうではない。国内問題は国際的な諸問題と密接につながっている。
以心伝心や不言実行などを何か非常に重要な道徳であるように教えて、あまり議論をさせない。試験では教師が言ったようなことを書けばよい成績が取れる。会社や役所など、日本の組織内にも同様の欠陥がある。
おそらく大半の日本人は、対外的な発言が弱いことを認めている。問題はその克服のためにどう実践するか。対外的な発言と言っても、日本のことだけを知っていればよい、日本的な振る舞いをすれば国際的に評価されると思ったら大間違い。
『国際人のすすめ~世界に通用する日本人になるために~』という本に詳しく書かれています。
新聞などメディアをはじめ、日頃のちょっとした会話にも日本人の内向き思考というか、もっと言えば民族主義とも言えるものを感じます。違憲である集団的自衛権に対しても「戦争反対」「若者を戦場に行かすな」といった論調ばかりです。戦争が嫌で戦争に行きたくないのは誰だって同じです。日本人だけではありません。日本人以外が戦争をしているのならそれは仕方がない。石油や食料などがちゃんと安く入ってくるならそれでいいじゃないか。外国の子どもや女性が苦しんでいてもそれはその国の責任ではないか。日本はまず自国の安全を優先するべし。
これが大きな間違いであることに気づいている人もいるでしょうが、全体の共通認識となるには時間も努力も相当かかります。戦争反対!とそればかりを繰り返していると言って批判するばかりではなく、戦争に反対なのは人類共通で、そのためにどうするかを話し合わなくてはならない、というメッセージを伝えなければなりません。この機に乗じて与党を攻撃する共産党や、その共産党を過去の失政を蒸し返して攻撃する与党の姿はとても後ろ向きです。
党利党略に走っているのは与野党いっしょです。
過労死等防止対策推進シンポジウムに行ってきました。11月の北陸は雨が多く、当日も昼過ぎからぼそぼそと降りだし、昼なのに夕暮れのように暗い日でした。そのせいか、来場者が少なかったです。また、年配の人がほとんどで、若い人の姿が見えませんでした。
過労死はかつては壮年男性の問題でしたが、近年では若い人や女性でも過労死しています。過酷な労働を強いられている労働者はむしろ若い人や女性に多いのではないかと思います。過労死に対して無関心なわけではなく、このようなシンポジウムがあるということを知らない人が多いだけだと思います。もう少し周知の工夫をしなければいけないのではないかと感じました。
過労死(自死も含め)で家族を亡くした遺族の話は、遠い世界のものではなく、いつ自分の身に起きても不思議ではないのだと身につまされました。
いつも通りに「いってらっしゃい」と声をかけ見送ったのがこの世での最後の別れだった。なんとなく元気がなく、気にはなった。
タイムマシーンでお父さんが自殺した日に戻りたい。そして絶対に仕事には行かせない。絶対止める。
遺族は会社への怒りだけではなく、気づかなかった自分、何もできなかった自分に対し許せない気持ちを持ち、後悔の日々を送らざるをえなくなっています。
全国過労死を考える家族の会 代表の寺西笑子さんは、韓国やフランス・スイスなどヨーロッパで過労死防止の話をしても、日本の過労死というものをなかなか理解してもらえないと言っていました。
韓国は日本以上に年間の労働時間が多いそうですが、韓国の場合は残業代欲しさに労働者自らが過重労働をするので、裁判を起こすということもまずないということです。
どうしてお金も払ってもらわないのにそんなに働くのか?
どこへ行っても言われるそうです。
家に帰って夫にこの話をすると、「日本人は責任感が強いからやろうな。だからこそ日本はここまで発展してきたんやないか。」と言いました。
「相変わらず過労死はあるのになんで景気はながらく沈滞しとるん!」「日本人ほど責任感ないのになんでサムスン売れとるん!!」「世界の発展しとる国はみんなただ働きしとるんか!」と反論したところ、「…カネほんとは払わんなんよな…」とボソボソ言いました。
過労死は高度経済成長が終わったときから出てきてます。
経済は右肩上がりではないのに右肩上がりの業績を強要されていたのです。
国民性で片付けていては、過労死は世界の不思議のまま、永遠に解決できないものになります。
なぜ賃金不払いがはびこるのか。
この問題を避けていては過労死という巨大な壁を乗り越えることはできないと思います。
なのに、真正面から取り組まず裏道横道からの方法ばかりを模索しています。
先日の朝刊に「植物の生き残り戦略に学ぶ」と題して、助け合いについての記事が載っていました。美しい花やグラデーションをなす紅葉を見て、私たち人間は癒されるが、実は植物の世界はそんな穏やかなものではない。弱肉強食・適者生存、生き残りをかけた熾烈な争いをしているのが植物界の実態であると言うのは、静岡大学教授で雑草生態学が専門の稲垣栄洋(ひでひろ)さんです。
イギリスの生態学者グライムは、植物の生き残り戦略を3つに分類し、CSR戦略と名付けています。
Cはコンペティティブ=競争型で、強い植物がとる戦略です。これに対し、S戦略・R戦略は正攻法で戦っても勝てない、競争に弱い植物の戦略です。Sはストレス耐性型で、水や光が不足・温度が低いなど生育にマイナスとなるような条件に耐える力を持つことで、過酷な環境でも生き残ることができる植物です。サボテンや高山植物などで、他の植物との競争を避け、厳しい環境に耐えることで生き残りを果たしています。Rはルデラル(攪乱かくらん)耐性型で、激しい環境の変化にも対応できる植物です。都会によく見られる雑草などです。
植物同士の競争だけでなく、病原菌や動物・昆虫との戦いもあります。昆虫との戦いは特に激しく、防御のためさまざまな化学物質を作っても、「蓼食う虫も好き好き」で、他の昆虫なら見向きもしない植物を好む虫もいます。そこで、食べられることを逆手にとった方法を植物は見出します。代表例は受粉です。
ポイントは、仲良くしようとして共生関係になるのではないということです。自然界は熾烈な競争社会であり、適応できないものは容赦なく淘汰されてしまいます。共生関係にあるほうが生存のために有利なのです。
長期的に見たら、助け合う戦略にメリットがあるということは非常に示唆的だと感じます、との稲垣さんの言葉で記事は締めくくられています。
国際関係にも生かせそうな戦略ですね。もちろん社会保険労務士の業界にも。子どもが社会に出て行くときにも必要な知恵です。
キーワードは
弱い者でも勝てる工夫
防御してもダメなら利用
です。
仕事で福井に出かけました。いいお天気だったので車窓からの眺めも楽しく、少し本を読んでは景色を眺め、持参のコーヒーを飲み…ピクニック気分でした。
初めて足を運ぶ福井労働局にドキドキしました。建物が新しく立派で恐れをなしましたが、担当者はとても親切な方で、いい勉強になりました。
駅の観光案内の方、バスの運転手さん、駅員の方、カフェの店主(福井はすてきなコーヒー専門店が多いです)などもとても親切で、とっても印象がよかったです。見習うつもりです!
福井労働局の斜め前にブータンミュージアムというのがあり、ちょっと時間があったので寄ってみました。ブータンのことがいろいろ紹介されており、民族衣装なども展示されています。福井とブータンは何十年も前から交流をしているそうです。
福井とブータンの接点てなんだろう?と考えていたら、GNH国民総幸福度についての資料があり、ようやく思い出しました。数年前にブータン王夫妻が来日して大人気でしたね。そして、福井県は日本一の幸せ県でした。なるほどです。
でも正直なところ、「幸せ」というものを指数で表すということには懐疑的でした。福井県の幸福ランキング1位にしたところで、当の県民にとっては意外な結果ではないかと思うのです。
ブータンの場合、国民へのアンケートで幸福度を測ったそうです。福井県の場合は客観的なデータで選ばれたようです。どっちであっても、やはり幸福度を測るということは本来不可能だと思います。
それでも「幸福」というものに着目している点がユニークです。まだまだ方向性は見えていないようですが、模索する中で新たな発見があるかもしれません。
福井県の人だけじゃなく、全国・全世界の人が外から測ることのできる客観的な幸福ではなく、どんな環境や境涯にあっても幸せを実感できるような内なる幸福を築いていけることを願うばかりです。
なんとなく遠い県と思っていましたが、日帰りの業務旅行でありながら、身近に感じられ好きになりました!