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「そうだ難民しよう!」で内外から批判を受けている漫画家のはすみとしこさんですが、偶然ですが全く異なる見解に接しました。

最初にこの事件のことを知ったのは、ジャーナリストの斎藤貴男さんのコラムでした。斎藤さんは、はすみさん自身については特に言及しておらず、このような投稿に対してこれほど多くの批判が寄せられることに対して今の時代の空気というものを感じる、というようなことを言っていました。斎藤さん自身、社会的弱者について論じる際、その背景などにも言及してきたが、今後そのようなことが自分の思いとは別に、当事者たちへの差別と捉えられかねないと、やや困惑気味でした。

その後、人材育成コンサルタントの辛淑玉(シン・スゴ)さんが教育雑誌のコラムに、「ヘイト漫画家」が邪悪なイラストを発表したとして事件を取り上げているのを読みました。
はすみさんは、難民とは自分たちの富を奪って楽に贅沢をしようとする存在だと言いたいのではないか。難民たちの置かれている苦境を何もわかっていないのではないか、という主張でした。

斎藤貴男さんのコラムを読む限りでは、思わぬ過剰反応が起きているという認識でしたが、この際実物を確認してみようと思いました。はすみさんは、イラストを削除したそうですが、フェイスブックには、問題となったイラスト以外にも、はすみさんの考えがわかる作品が数多く載っていました。

はすみさんは、ただ「難民、ナマポ、中韓、その他ガイジン嫌い」という単純ヘイト主義者ではなく、本人としてはなんらかの主義主張を持っており、少なくとも何かの誰かのためになっているという強い自負があるように感じられました。

パロディーは政治等を皮肉る有効な方法です。チャップリンのヒトラー批判によく表れています。
はすみさんは、もしかしたらナチスを挫けさせたチャップリン…とまでは言わなくとも、それと同種のことをしていると自負しているのかもしれません。
はすみさんを応援するサイトもあり、批判の一方で礼賛者も多いことが彼女の行為を後押ししていると思われます。

ブログやフェイスブックなどの閲覧者が多く、いいね!などのコメントが多いと嬉しいものですし(経験ないですが)投稿にはずみもつくというものです。
彼女の作品そのものについての感想は別にあるのですが、炎上に至る批判も含めて、SNSの影響というのがよくも悪くも大きいのではないかと思いました。

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12月に始まるストレスチェック制度ですが、マイナンバー対応に追われて後回しになっているような感じもします。

効果に対する懐疑も根深いような…

メンタル不調の予防というが、果たして機能するのか…

メンタル不調者を炙り出して排斥するのでは…契約更新されないのでは…といった、働く側の心配や警戒もあります。

私は今一つ前向きになれないです。

なので、ストレスチェック関係のセミナーとかは「もういいいや…」と思っていたのですが、早い時期にすでに申し込んであったので、精神科医の方の話を聞いてきました。

ストレスチェックは非常にリスクが高い。しかし、大きなチャンスでもある。ということでした。

ストレスチェックで仮にうつ状態であることがわかっても、原因はあまりにもさまざまであり、多くの病気の初期症状であるため、対処が非常に難しいということでした。

産業医でも専門医じゃなければ対処を間違ってしまう可能性が大きいし、法律に則って実施したにもかかわらず、結局安全配慮義務で訴えられることもあり得るということでしょうか。

ストレスチェックをして面談をして、必要なら受診を促してって、簡単じゃないのはわかりきっているようだが、心療内科医のなかには、チェックすればそれでいいと思っている人が多いそうです。

強制的にストレスチェックを実施させることで得られることってなんなんだろう。

この機会に働き方を含めた生き方そのものを問い直してみる、メンタル不調者が出たことをきっかけに、会社のあり方、業務内容を根本から見直す、という方向にいけば大成功と思いますが、そのためには外部からのアドバイスが重要となりそうです。

社労士にとって大きなチャンスなのかな?

そうかもしれないけど、それだけじゃないですよね。なによりも会社にとってのチャンスです。
社労士にとっては、サポーター・アドバイザーとしての存在意義を理解してもらう大きなチャンスです。

メンタルとついたらもうそれだけで苦手意識の風が吹き荒れ、逃げ腰の私ですが…

もういいや…と思いつつセミナーに参加してほんとによかったです。



社会保険労務士会に委託されている自治体の労働相談は多いと思うが、相談者というのはどのくらいいるのだろうか。首都圏と地方都市で違いはあるのかもしれないが、政令都市でありながら、電話相談を含めて1日に1~2件は少なすぎると思う。知人からその数字を聞かされたときには驚いた。

始まってまだ間もない事業というのでもなく、何年も継続して受注している事業である。1日それだけの相談数でも予算がつくということである。

やることがないのは苦痛ではないかと思うのだが、自分の仕事がけっこうできる、ということだった。報酬はさほど多くはないとはいえ、顧客のいない開業社労士にはありがたい仕事である。

役所においても労働相談というのは少ないように思う。

そこで働く人にとっては、来年度の予算に関係し、実績が全くなければ廃止され、雇用がなくなるという問題があるのだが、それよりも。

国民の税金を使った事業でありながら国民にちっとも還元されていないことが大きな問題である。

役所内にいると、こういった感覚が鈍磨してしまう。

一つの組織のなかに入って仕事をすれば、ヒマはヒマなりに学ぶべきこともあり、やはり勉強にはなる。実務経験のない者はどんどん行政協力をすればよいと思う。

そして、学んだらそれを顧客のためにいかせばいいと思う。

だが、委託事業であれ役所の非正規職員であれ、使われているお金の正当性を常に考えてみるべきだと思う。ずーっとずーっとこういう形でお金をもらい続けていれば、経営者の心情など到底わからないだろうし、専門職の労働ダンピングに寄与していることにもなる。

開業間もない駆け出しの社労士に勉強の場を与えるという意味では低賃金もあり得る。しかし、社会保険労務士が何年も何年も役所の非正規職員に甘んじていると、社労士全体の価値を下げてしまうことにならないか。

月10~20勤務で時給・日給は、経済的に自立しなくていい人間には好都合である。働き方は人それぞれだが、多くの社労士が長く役所の非正規あるいは下請けでいれば、全体に及ぼす影響は大きい。

自分で客を獲得できないなら、きちんとした雇用で仕事をするべきではないかと思う。高年齢の方はともかく、まだまだ働き盛りの人は、自分さえよければ(開業はプライドや見栄とかもあるのかもしれないが)と思わず、社労士という資格の価値や雇用の質に与える影響までも考えないといけないのではないか。

役所での契約更新は1回までとか、公募とかいうのは一般的な意味と大きく違う。課や部署を変えて、あるいは変えずに同じメンバーがぐるぐる回遊している。

ムラ社会は息苦しい…



「1票の格差」是正のため、改正公職選挙法で定数を増やした選挙区と減らした選挙区ができた。

1票の格差が違憲だの違憲状態だのと、違いもよくわからず、投票率もふるわない選挙でなにを大騒ぎしてんだか…と多くの人同様に無関心でいた。

なんとなく、都会に住む人間やそこで立候補する人間には不利で、田舎の人間には有利なのはけしからん、法の下の平等に反する!というようなことを騒いでいるらしいのはわかったのだが、釈然としないながらもよくわからずにいた。

憲法学者の木村草太さんが、憲法改正の本の最後のあとがきのところで「1票の格差」問題に言及している。

投票価値の平等は重要な憲法原則である。その実現という観点からは、活発な訴訟の提起や最高裁の踏み込んだ態度は歓迎すべきものである。

としながらも、1票の格差を解消しなければならない理由として、「選挙権は自分の個人的な利益や信条を国会の決議に反映させるための権利である。1票の格差があると、利益や信条が反映される度合いが相対的に減らされる。これは不平等ではないか」といった素朴な理論が展開されているように見えるが、これは根本が間違っている、と指摘している。

国会議員はどの選挙区から選出されようと、全国民の代表として議論や決議に参加しなければならない。国会は一部の国民ではなく、全国民のために公共の利益を実現するための議会なのだから当然である。そうであれば、個人的な利益や信条の実現という観点から投票価値の平等を説くのは間違っている。人口密集地の国民が、我々の利益をより多く実現すべきだという理由で格差是正を主張しているなら、格差是正の正当性は非常に小さい。国民はどこに住んでいようと全国民の代表にふさわしい人は誰か、という観点で投票しなければならない。1票の格差是正の主張も、格差を是正したほうが、より全国民の代表にふさわしい議員を選出できるはずだ、という主張でであるべき。とのことです。

ほんとのところ、1票の格差解消を実現させたい人の目的はなんでしょうか…

木村さんは、わかりやすい素朴な議論に飛びつくことの問題を本を通して問題にしています。

「わかりやすい」は大事なことですが、二分法になりやすいのですね。複合的な視点。言うは易くです…単純な人間としてはおおいに反省です。

憲法には教育を受ける権利と教育を受けさせる義務が規程されています。義務を負っているのは直接的には親ですが、つまり国家です。小中学校は義務教育ということで無償です。

つい最近、子ども6人を学校に通わせずに家で勉強させ、12歳までに6人を大学に入れた(残り数人はまだ小さい。子だくさん家庭なのです)両親の本を読んだのと、小学校の授業へのちょっとした疑問が重なり(娘が来年小学校に入るので説明会に行ってきた)、そもそも教育の権利や義務ってどんなんだっけ?と思ったのです。

子どもの教育といえば「学校へ行く」ことと考えがちですが、憲法で規程しているのは就学の義務ではないのですね。

ただ、子どもを学校に通わせずに家で勉強させるというのは、とてもハードルが高いように思うのです。一部の恵まれた環境の人にしかできないような…例えば裕福で家庭教師を雇えるとか、自分自身が高い教育を受けていて子どもに教えることがでいきるとか…

でも、本の中では夜勤の看護師が朝帰ってきて人5人の!子どもを起こして、子どもがやったドリルなどの採点などをして、後は子どもたちが本を読むなど好きなことを勉強し、夫が出勤した後に自分は眠る、という人が出てきます。

この本を読むまでいわゆるホームスクーリングなんて考えてみたこともなかったです。ただ、どんな英才教育を我が子に対し行っているのか、どんな素晴らしい才能を持った子どもたちなのか、両親はきっと高い学歴の人なんだろうな…との興味から読んだのです。

お父さんは空軍勤務で、休暇を利用して学位を取るため大学に通っている時期がありました。お母さんは家計を助けるため1年間学校に通って准看護師の資格を取り、週末は看護師として働き、平日は子どもを預かったりしています。

両親が学位を持っていなくても子どもが学位を取ることは可能。その通りなのですが、ホームスクーリングでも可能というところがポイントですね。

読むこと、書くこと、計算を就学前までにマスターしてしまえば、あとは子どもたちがオンラインや本で好きなことを勉強する。ただそれだけ。子どもたちは興味のないことをやらされることもなく、好きなことをするので、みな自分の才能を発揮させられる。そうなんだって!

意外でした。

私が小学校の教育に関して疑問に思うのは朝早すぎることです!7時50分ぐらいには学校に着いてなきゃいけなくて、8時からは朝読書とかが10分間だけ!あるんです。多くの人は知っていたのだと思いますが、私は全然しらなくて、そんなことのためにそんなに早く学校へ行かなきゃいけないのか!!とびっくりしたのです。だって、家で毎日山ほど本を読んでるのに、なんでまた学校でしかも朝早く授業とは別にわざわざ本を読むのかと思うのです。

ホームスクーリングは我が家の状況からとうてい無理ですが、家庭学習のヒントにはなるんじゃないかと思いました。

ところで、理科と社会がいっしょになって生活科になったことは周知のことですが、夫は知りませんでした。学校の時間割を見て「なんじゃこりゃ!!」「国語と算数しかないぞ!!」と大騒ぎでした…

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