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毎日ごはんを食べるたびに「こんなうまいもの食べたことがない!」、美しい夕陽を見れば「こんな夕陽見たことない!」といちいち感動…

自分のお父さんがこんなんだったらどうでしょうか。

そんなもんだと思うでしょうね。

書道家の武田双雲さんのお父さんがそんな人だったそうです。

お母さんはお母さんで、書道教室の他エアロビクス教室も運営していたそうですが、毎日踊りまくってはその興奮のまま家に帰ってきてたとか。

とにかくパワフルでよくしゃべり、底抜けに明るいご両親だったそうです。

そんな両親の一番の楽しみは育児だったかもしれないと武田さんは言います。

とにかく子どものことが大好きで、人と比べたことなど一度もなく、学校の成績がいいとか悪いとかも一切言わず、いつも手放しでほめる。子どもらしい素朴な疑問を投げかければ「おまえは天才だ!」とほめ、大人になって会社を辞めるときも「やっぱりおまえは天才だ!」

3児の父である武田さんにこの楽天傾向は受け継がれています。

育児は一面休みのない過酷な労働なので、楽しまないでやるとすればただの苦行でしかない。とことん楽しむ。なのだそうです。

武田さんは自分の子どもに期待はしていないと言います。今を楽しんで一生懸命に生きてくれれば十分だそうです。

ただただ毎日が楽しかったり面白かったり悲しかったり悔しかったりしたノー天気な子ども時代を送った私としては、嬉しい言葉です。両親からなにかを期待された覚えはひとっつもなくプレッシャーなどとは無縁でしたから。

武田さんの両親の話から、改めて自分の親ってどうだったっけ?と思いました。

父はフツーに真面目な人であまりこれといって特徴はないです。毎日面白くもない業務日誌のような日記をつけて(こっそり読んでがっかりしたことをよーく覚えています)部屋を散らかすことなく常に整理整頓と掃除をし(母は散らかし汚しまくる…)何十年もおなじ職場に通い続け…(母は仕事が長続きせず…しかも短い職場で仕事中に事故を起こしたり…)

母はといえば、上記父とは正反対でした。性格は明るくおしゃべりなおばあちゃんとは違い暗めでした。健康に凝っていて、ワインやらヨーグルトやらそばやらを手作りしていました。しかし、もともと料理の才能がなかったのでしょう、どれもまずかったです。マヨネーズだけはおいしかったですが。

いずれにしても2人とも教育には無関心でした。助かりました。教育熱心であれば今頃私も違った人生を歩んでいたかもしれませんが、子どものころの私は両親の無関心がとてもありがたかったです。

我が家もせいぜい明るくいきたいものです!


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6歳の娘が保育園から帰るなり嬉しそうに「でんでらりゅうばでてくるばってん」と手遊びをやってみせた。

担任のひさし先生から教えてもらったそうだ。

歌詞の意味はまったくわからないながらも、なにやらおまじないめいていて面白いなと思って聞いていた。

娘は新しい手遊びを覚えたことが嬉しいらしく、夫にもやって見せていた。

しばらくすると夫が同じメロディーで

「給料上がって喜んでたら、いつのまにか物価もあがってでーんでん」とやって見せている。

子ども相手になに教えとるん…

昔そんな替え歌がはやったそうです。

調べてみたらどうやら長崎県に伝わる童歌で、遊女の歌ともいわれている。70年代にはレコード化されたそうです。

「でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん」

意味は「出ようとして出られるならば、出て行くけれど、でも出られないから、出て行かないよ。行こうとしても行けないから、行くことはできないから、行かない、行かない。」

子どもや遊女、老人や障がい者などの境涯をうたったものかもしれない。

世相を反映していておもしろい。

娘の担任であるひさし先生はまだ若手の男性保育士であるが、花いちもんめなども教えてくれる。でんでらりゅうばでてくるばってん…おもしろい歌をおしえてくれてありがとう。
ちゃんと残業代を払っていれば36協定がなくてもいいのではないか、あるいは36協定の上限時間を超えて働かせてもいいのではないか。

こういった認識はまだ多いのではないか。

けしからん!労基法違反になるということがわからないのか!
まだまだこんなレベルの使用者が多くて困る…

社労士あたりならこんなふうに憤り、またため息もつきたくなるかもしれない。

だが、この「カネを払ってるんだしいいんじゃない?」という認識は、世相をとてもよく反映していて多くの人の感覚に合っていると思う。

解雇をカネで解決というのも、けしからん!カネの問題じゃないんだ!という考えがある一方、1円のカネも手にせずうまいこと放り出された労働者の救済になるという考え方もある。

解雇を争う多くの裁判では、解雇無効となりながらも、結局和解金を払って退職していたりする。解雇を争った会社で働き続けるのはツライもの…

「カネで解決」というところにいきたくなるのもわかる。

でもやっぱり「カネで解決」には反対である。

「カネで解決」である以上金額を争うことになるのだが、採用の際に給与のことを言いだすことさえできない労働者がどうやって「カネの交渉」ができるというのか。

朝の連続ドラマ「あさが来た」のモデルである広岡朝子は、女性の参政権の重要性を若い女性たちに熱心に説いていた。説かれた中には、赤毛のアンの翻訳者:村岡花子もいた。村岡氏は、広岡氏に感化されながらも、「広岡氏のように大上段から思想を説いても理解できる人ばかりではない。自分にできることは10代向けの良質な本を提供し、思想が受け入れられる土壌を耕すことだ」と考え、自分の仕事に打ち込んだそうです。

カネで解決も同じことと言えます。カネの交渉をするだけの土壌が全くないところに、カネの解決策を持ってきても目も当てられないような結果になるだけです。

契約というものを真に理解することもなく、金銭の価値やその意味を問うこともなく、ただ与えられるものを享受するだけの労働者にとって、カネで解決とは荒野に放り出されるものだと思います。労働者側から「カネよこせ」と言えるようになったときが「カネで解決」のときだと思います。

カネの交渉ができないのに安易にカネで解決…という風潮は子どもの火遊びのように危ういものがあります。
提携先の社労士法人に行ったら裁判がどうとかいってみんなわいわいやっていた。

男女賃金差別で訴訟を起こしている人がいるそうで、機械設計会社の女性だとか。

早速ネットで調べてみたら、今年3月に金沢地裁で判決が出ていた。会社は負けていて400万円ほどの支払いを命じられているのだが、原告側は男女差別を認めていながら年齢給での差額の支払いしかなく、職能給は考慮されていないとのことで控訴しており、会社もどういうわけか(男女差別などしていないと主張しているみたいだが…)控訴しており、9月2日に1回目の公判があったそうだ。2回目はいつだろうか。気になるな。

しばらくすると事務の女性しか残っていないことに気づいた。

スケジュールボードを確認すると「本間さん裁判金沢支部10:30」とある。

今日だったのか!!気づかなかった!!

昼頃戻ってきた社員に「どうでしたか!!」と勢い込んで尋ねたら、激しいやり取り等はなく、審議は出尽くしたということで、和解をすすめられたということでした。○○さんも誘ったんだけど来なかったね…と言われましたが、誘われてることに気づきませんでした!

400万ほどの未払い賃金が支払われた場合、社会保険料がどうのこうのと言っておりましたが、そういう問題に矮小化されているのだなぁと納得いかないかんじです。

労働基準法の賃金における男女差別ということであれば、未払い賃金の問題となり、それゆえに2年の時効があるため、ほんの少しの支払いになってしまうということです。

原告である本間啓子さんを支援する男女賃金差別をともにたたかう会のサイトなどを見ますと、女性であることを理由とした「賃金」差別にとどまらず、あらゆる面で差別され人権を侵害されていると思うのですが、それでも未払い賃金の問題としてしか闘えないのか…

この時効は今後もこういう裁判では大きな壁になると思う。

差別では…という疑いがあっても確信までに時間がかかり、在職中なら職を失うおそれもあり、どうしても退職後となってしまう。これでは会社は差別しほうだいと言われてもしょうがない。

大手企業であるタイヤ会社グッドイヤーに賃金差別の闘いを挑んだリリー・レッドベターも時効の壁の前にアメリカ連邦最高裁までいって敗れたのである。その後時効を大幅に見直す法律を成立させているが、彼女が費やした時間とお金は莫大なものとなり、老後の資金を使い果たしたそうです。

賃金差別を許さない』はその壮絶な闘いぶりを描いたものです。

マクドナルドの名ばかり管理職裁判でも、労働者の健康などそっちのけで「未払い残業代」がもっぱら注目されていたが、女性差別も同じではないか。

カネはいらない、誠意がみたいとか、そんな話ではない。ただ、カネを払うというところに問題が矮小化されているのが危険なのだ。金額も矮小化されるし。

和解金気になる。
どんなものにも平均的な数というものがあるのだろうが、たとえそれを知らなくてもその数字は明らかに平均よりも少ない・多いとわかる場合がある。

例えば先日ある新聞で、168回目の受験でマレーシア航空から内定があったという女性の記事があった。今はネットで簡単にエントリーなるものが可能であるらしいが、それでも実際に面接や試験にまで臨むのは数十回ではないだろうかと思う。

調べてみたら女子で36社、男子で30社だそうです。

168回というのが異常に多い数字だということが改めてわかりました。

168回目の挑戦でマレーシア航空のCA(キャビンアテンダント)を勝ち取った彼女は幼稚園のころからCAに憧れ、人生の目標にしていたそうです。高校のときには2度オーストラリアに短期留学をし、その後国内や海外の大学で語学の習得に励み、在学中からアメリカの航空会社に履歴書を送るも、永住権がないと採用できないと断られています。航空会社の受験をつづけるため、様々な職業につき、100回目の受験でようやく海外を拠点とする航空会社から内定がありました。しかし、ワーキングビザがおりずに入社は見送られたそうです。

あまりのショックで長いトンネルの中に入ってしまったような気持ちだったと言います。

私が普段購読している新聞には、10~11回目の挑戦で医学部に受かったとか、何百社も受験・面接してようやく採用されたリストラ中高年が今では役員だとか、毎日何年にもわたって1000枚以上の絵手紙を認知症の母親に送り続けたとか、そういう話がいっぱいのっています。美談でもなんでもなく、ごく当たり前のこととして紹介されています。

資格試験なども何年も挑戦し続けている人がいると思います。5回目あたりからは心身ともにかなり苦しいのではないかと思います。

なぜ自分はこの資格を取りたいのか、なんのためか、何をしたいのかということを原点に戻って自分自身に問うてみて、そのうえでどうしても必要なら何度でも可能な限り挑戦すればいいと思います。

受験回数の多寡に関係なく、惰性でやっているなら別の道を考えることも必要です。

今頃は、来年の社労士試験に向けて労基法や労災などを学んでいる人がたくさんいるでしょうね。みなさん、がんばってくださいね。

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