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インターネットが普及し、情報があっという間に拡散する状況の下では、草の根運動の意味も変わってくるだろうと思う。しかし、それでも草の根運といえば民衆から湧き起った民衆による社会運動であると認識している。

だが、そうとばかりは言えないようである。

『子宮頸がんワクチン事件』の著者である斎藤貴男氏は、ジャーナリストとして、もともと安全性に疑惑のあったワクチンがどうして短期間のうちにあれほど広まり、定期接種の制度にまで乗るようになったのか、そのパワーとメカニズムの正体を知りたかったと言います。

調べていくうち、子宮頸がんの予防啓発グループ「リボンムーブメント」の背後には朝日新聞とその関連団体である日本対がん協会があり、ワクチンの導入を政官界やマスコミ界に強く働きかけた「子宮頸がん征圧をめざす専門家会議」の中核であることがわかった。専門家会議のスポンサーは子宮頸がんワクチンの2大メーカーであるグラクソ・スミスクラインとメルコの日本法人である。

草の根患者団体やペイシェント・アドボカシーの台頭は本来おおいに歓迎すべき潮流であるはずだ。だが現実には、その背後に巨大製薬資本などが控えていて世論誘導を図っているケースが少なくない。アメリカでは常態化して定着し、人工的な草の根運動という意味で「アストロターフィング=人工芝」と呼ばれている。いつのまにか日本にも上陸し、代表的な新聞社がこれを仕掛けていたということになる。

斎藤氏はジャーナリストとして、このような事態はあまりにも深刻であると言います。

情報量が多く、玉石混淆(であることの認識すらなく)もはなはだしく、思慮の時間もなく、その方法も持たず、というのは情報が遮断されているのと変わらないのかもしれない。


安保法案なども、全然反対運動を報道しないかと思いきや、一気に報道しだしたり、挙句に数字をでっちあげていたとか今さら言いだして。

朝日系のアエラは最新号で「情報断捨離でアイデアを生む」とかいう特集をやってたような…

皮肉な話だが、その通りかもしれない。


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コストコって、最初この名前を聞いたときなんかの駄洒落かと思った。すっとこドッコイとか。豚骨ここっすとか。アメリカの会員制のディスカウントスーパーだと知ってびっくりした。地方都市にも(実家のすぐ近くにまで…)進出してきてなおのことびっくりした。大繁盛と聞いてのけぞり、首をかしげた。

社会学者の古市憲寿が『遠足型消費の時代 妻はなぜコストコにいきたがるのか』のなかで、「デフレや不況で物が売れないというのは「お父さんたち」の世界のことで、「女こども」の世界ではヒット商品が出続けている。それほど高くもなくかといって激安でもなく、必要でもない物が売れている。キラキラ感があるものが「女こども」を魅了している」というようなことを書いており、コストコもそのキラキラ感があるため妻たちが行きたがるということである。

ふーん。

キラキラ感ってのが抽象的でわかりにくい。人それぞれキラキラ感は違うと思うが、古市さんが言うのは多くの人が魅了される共通のもののようだ。

コストコがなんでキラキラしてんのかはわからないが、(だって飽食・デブ・乱費の象徴にしか思えないもの…)とにかく多くの人が憧れているみたいだ。

マーケティングアナリストの原田曜平さんが、「アメリカ化するアジアの若者たち・日本編」というタイトルでアメリカ型の流行を分析しています。

アメリカの影響力は衰えていると思われている。軍事力・経済力といったハードパワーは確かにそうだし、映画・食文化などソフトパワーもかつての輝きはない。しかし、ことアジアの若者たちに話を絞るとまったく反対の現象が現れている。若者たちに対するアメリカの影響力が急激に強まっている。日本の若者たちの間で近年流行している現象の中にもアメリカ発のものが目立つ。「ハロウィン」や「リムジン・パーティー」「カラーラン」「ラブホ女子会」などがそうである。(ラブホ女子会は実際にはアメリカの金持ちの子女がパーティーを開くのは自宅だが、日本は住宅が狭く無理なのでラブホになったとか)

インターネットで海外の情報が瞬時にわかることと、一部の富裕層の子弟や帰国子女(2者はかなりの部分重なっている)が最初に真似していることが流行を広げていると原田さんは分析しています。

日本に限らず、どこの国でも金持ちジュニアと帰国子女が若者たちの流行の方向性を最初に決定づけるということです。

自分には無縁であるだけに、憧れるのですね。真似できることは真似て気分を味わいたいのかもしれないです。

コストコもその流れなのだろうか。なんか私もいっぺん行ってみたくなった。誰かに連れて行ってもらおうか…

アメリカの影響大!

かつてカトリックの施設に勤務していたころ、かわいいハロウィンの飾りつけをしたかったが、アメリカをフツーに軽蔑し差別していたドイツ人シスターが院長だったので、ハロウィンのㇵの字もご法度だった。ところで、ハロウィンって聖人のお祭りだったっけ?ケルト神話だったっけ?よく知らないんだ。お化けがかわいいから好きだけど。
労働時間を短くして家族と過ごす時間や趣味などの時間を増やす。そのために仕事の効率を上げる。

どこも間違っていないように思うのだが…

育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんはこの考え方の矛盾をついています。

家族との時間を大切にしたいと思うなら、意識を向ける先は「仕事を早く終わらせる方法」ではなく、「家族との時間そのもの」であるべき。まず仕事を終わらせることに意識が行くこと自体、無意識が仕事優先の価値観に乗っ取られている証拠。家族時間の量を追い求めると、どうやって仕事を早く終えるかばかりに意識がいってしまい、仕事を早く終えること自体が自己目的化してしまう。結局頭の中は仕事のことで占領されてしまう。

家族との時間を優先しようとして、結局は仕事優先になってしまっている。本末転倒に陥っているということですね。

家族と過ごす時間の量を増やすことには限界があっても、質を高めることはいくらでもできるはず。ひとまず量は後回しにして、質を追い求めるようになると、仕事優先の価値観に乗っ取られていた無意識が、家族との時間に向けられるようになります、とおおたさんは言います。

時間という量に限界があるのは仕事もプライベートもいっしょです。仕事が忙しいわけでもないのに!いつも時間がなく焦ってイライラしている私には耳の痛い話です。

娘や夫に当たり散らしながらバタバタして家を出て、帰宅後すぐに食事の準備をして家事やなんやであっという間に寝る時間。娘の絵本~~、トランプ~~の声に苛立ちしかたなく付き合ってやって、罪悪感に苛まれながらもやはり苛立を隠せず「ママ怒ってる~~」と娘を悲しませ…

いったい何してんだろ。

時間の量を追い求めている限り、「仕事が忙しくて家族との時間が取れない…」「仕事と育児の両立が辛い…」と投げ続けるしかないのですね。

今ある時間を濃く!ということです!
高次脳機能障害について調べていたら、料理家のケンタロウさんのことが出ていました。

3年前にバイクで事故に遭い、寝たきり状態が続いているということでした。リハビリ病院に入院中で奥様が介護をされているそうです。高次脳機能障害があり、話すこともできないようです。同じく料理家であるお母様の小林カツ代さんは、くも膜下出血で倒れて以来認知症も発症し、ケンタロウさんの事故も認識できないまま亡くなられたということです。ケンタロウさんもお母さんが亡くなったことをどこまで理解できているかという状態だとか。全然知りませんでした。

私は料理が苦手です。好きではありません。それでも加工食品や外食、調理済みの得体のしれないものを食べるのが嫌で食材を買ってきて自分でなんとか作っています。なので、料理を作ることも食べることも心から好きで楽しんでいるケンタロウさんが羨ましくて、ときどき本をながめて楽しんでいました。簡単なレシピも多いので作ってみることもありますが、多くはレシピをながめるだけで満足しています。

ケンタロウさんは生きることそのものが楽しくて仕方がないみたいでした。10年以上前の雑誌に「大人になってよかった」というコラムがのっていて、夜を家で過ごすことの楽しさをこれでもかこれでもかと綴っていました。早寝早起きの私は羨ましくて羨ましくてなりませんでした。なので雨の日に置き換えて読んでみました。

ケンタロウさんは夜というか夜中が好きで、平日週末翌日の起床時間を問わずいつも遅くまで起きています。夜中にお風呂に浸かって文庫本を読んだり、ピーナッツサンドを食べながらヘビーなドキュメントを読んだり、昼間は読み飛ばすような小さな記事を雑誌や新聞で読んだり。日曜日にタワーレコードで大量に買って未開封のままのCDを聞いたり、普段はあまり聞かないCDを無差別にどんどん聞いたり、ブツッブツッと切れる音を楽しみながら懐かしいレコードを聞いたり。買ったばかりのコーヒーメーカーを夜中じゅうながめていたり。ほんとうにほんとうに夜中が好きで、朝日が昇ってくると「ちょっと待ってくれ太陽」といつも思うのだとか。

物がなくても物にかこまれていても幸せを感じることができない私には、ケンタロウさんのこの楽しみ方がほんとうに羨ましかったです。

ケンタロウさんの今後がどうなるのか全くわからないことです。

でもケンタロウさんがすごく人生を楽しんでいたという事実はなくなりませんし、変わりません。料理や生き方のたくさんのレシピはこれからも多くの人を幸せにしていくと思います。





社労士試験の勉強のとき、労働者供給と労働者派遣の違いがどうもわからなかった。「違い」が説明してあるのだから両社は違うのだろう。しかし、違いが判るネスカフェゴールドブレンドではないが、私はなんとなくわかったことにして(みなしたわけだな)あきらめた。派遣元の義務・派遣先の義務、労基法の適用はどっちかということも細かく複雑でさじを投げた。
原則禁止されている労働者供給を特別に一部許可する、その際制限をかけて労働者を保護する、というのがそもそものはじまりなので、違いがわからないのも当然かもしれない。もちろん「違いの分かる」大人もいるでしょうがね!労働者供給というやり方が必ずしも労働者を搾取し損害が大きいというのではなく、過去にこのような形のもとで労働者が悲惨な状態に置かれたから禁止しているというのであれば、派遣法も一つのやり方であり必ずしもろくでもないものというわけではない。が、「多様な働き方の一つ」などという括りですませられるものではないと思う。専門26業種をみて思いっきり首をかしげる人は多いと思う。法律発足当初は13種だったらしいが、あっというまに26種に増えたみたいだ。何が専門なんだかちっともわからない。介護職はあれだけ専門職と言われながら26種に入っていない。派遣しほうだいだ。にもかかわらず、保険者によっては派遣職員を人員基準に算定できないとするところなどがあり、事業所はあわてて直接雇用に切り替えたりしていた。多様な働き方を背景に派遣は広がっていったが、ややこしすぎてわけがわからない。今回の改正にしても、福島瑞穂さんが青筋立てて怒ってたからわかったが、そうじゃなきゃ厚労省のパンフレットではなにがなんだかちっともわからない。違いの分かる人だけが議論しているのではないか?多くの違いのわからない人たちは置き去りにされているのではないのか?私みたいに…

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