忍者ブログ
記事タイトル一覧
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

女が働くってそんなにご大層なことなのか?

「輝く」だの「活躍」だの「やりがい」だの、うまいこと持ち上げて女をていよく働かせようとしているとしか思えない。そう言えば、介護の仕事も「やりがい」「感謝・感激」「社会貢献」などの美名で低賃金をごまかしてるな…

女性の仕事を「好きなこと」や「輝くこと」「活躍すること」という特別なものとする限り、日本で女性が働くことは当たり前にならない。まずは「大人なら自分で自分の分を稼ぐのが当たり前」という意識がベースにあってほしい。

こう主張するのは『専業主婦になりたい女たち』の著者:白河桃子(しらかわとうこ)さんです。

私はこれまで失業中の数か月を除いて専業主婦だったことはないし、自分の母もそうではなかったため、専業主婦なるものは自分には無縁と思っていました。ただ、なんとなく同類の意識もありました。

かつての、結婚後は全く仕事をしない本物の専業主婦と違い、今現在の専業主婦は夫の扶養の範囲でしか働いていない(介護や育児などの事情は関係なく)人も入っています。

白河さんの本を読んで、やっぱり私は専業主婦だな、と確信しました。子どもが小さいことを理由にフルタイムの仕事をせず、夫の扶養に入っており、社会保険料を支払っていないのですから、専業主婦に違いないのだけれど、なによりもマインドがそうなのです。

白河さんいわく、専業主婦には「働くことは必要だ」という腹落ちがない。だから元気がない、覇気がないのである。

専業主婦になりたい!20代女子が増えているそうですが、彼女たちはなにも雑誌やテレビのセレブや自分の母親のように贅沢で優雅な生活がしたいわけではないようです。「仕事をしたくない」「養ってもらいたい」さらに翻訳すると「ラクしたい」というのが本音のようです。

そこには「仕事がツライ」という現実があり、「働くことからの逃避」「社会で戦うことからの逃避」が専業主婦への憧れとなる、つまり消極的選択なのです。

結婚しても、生活の基盤が自分にかかってくることを恐れる。生活レベルが下がることよりも、働くことで生まれる拘束が嫌。そこが生活レベルが下がることを恐れて働きに出た昭和の主婦とは決定的に違うところ…の指摘には、思わず「ほんとにそうですね!私もまさにそうです!」と膝を打ちました!

私もなんだかんだ言って、家でのらりくらりしているのが心地よいのです。だから夫から稼ぎの悪さを指摘されると、「じゃあ、家のこともっとしてよ!子どもが熱だしたら仕事休んでよ!」とお門違いの攻撃に打って出ていました。夫が家事育児をしたからといって仕事がこんにちは~と言ってやってくるわけではないことぐらい、いくら私でもわかっているんですが…

本に出てくる主婦たちの多くは、夫の収入に関係なく夫に依存しています。

年収が少ないなら少ないなりに「物を買わない」「贅沢しない」「高望みしない」のないないづくしで現在の幸せをキープし、高収入なら高収入で「日々の生活費をボーナスで補てん」「貯金ゼロには目をつぶる」などで贅沢な生活を維持し、やはり現在の幸せをキープしています。しかし、将来のこととなると低収入・高収入を問わず、展望なしです。

彼女たちには、自分が働くという選択肢がないのです。

働くことはそもそも楽しくもワクワクもしませんし、退屈で苦痛なものです。

楽しく仕事をするとか、好きなことを仕事にするとか、やりがいのある仕事をするとかはとてもいいことです。大事なことです。でも、そんなものは誰かが与えてくれたり、用意してあったり、待っていたら落ちてくるものではなく、自分で作り出すものです。

やりがいがないから、輝けないから、活躍できないからと言っていたら、子どもを育てるだけの仕事を手に入れることができません。
不当に安い賃金にだと思うなら「資格がないから」「いずれ誰かに養ってもらうまで」「○○の仕事は安いのが常識」などと言っていないで、正当な賃金を勝ち取らないといけません。

ところで、女性活躍って誰の提案だろうか?

日本会議なる男尊女卑・女性蔑視の超保守派が主流の政界での女性活躍ってなんだろう…
公明党あたりが言いだしたのだろうか?支持母体である創価学会でもっとも元気があり活躍しているのが婦人部であることを思えば納得だが、だがだがしかし、思想の基盤が違い過ぎるじゃないか。安倍政権の女性活躍には無理がありすぎる…






















PR

生活必需品は国民全員に行き渡るようになっており、大学まで教育費は無料で、医療費も無料だけど、外国から物が入ってこないため、電化製品やパソコンはもちろん、洋服や靴などもなかなか買えない、お菓子やケーキもあまり売っていないので手に入る材料での手作り。

一方、飢え死にしたりホームレスになる人がいたり、教育や医療を受けられない人がいても、お金さえ出せば世界中のあらゆるものが手に入り、好きなことができる。

どちらの国の住民が幸せと言えるのだろうか。

世界のともだちシリーズ:キューバに出てくる10歳の男の子エリオの生活は前者のものでした。

アメリカと数十年ぶりに国交を回復したので、今後どのように生活が変わっていくのか関心のあるところですが、今のところまだまだ社会主義の国そのものです。

どこまでも青い空、歌って踊って陽気な国民。

でも、とにかく物が不足しているようで、バスの代わりに馬車が走っていて、相当古い車がまだ使われています。

キューバでは大金持ちもいないかわりにホームレスもいません。テレビゲームやインターネットもなし。遠くへ旅行に行くのも、趣味に凝るのも難しいのです。多くの人は飛行機に乗ったこともありません。自由に使えるお金が少ないのです。生活必需品は非常に安いのですが、現金はそれらのものを買うのに限られています。

社会主義は、今や失敗が明らかであり、誰も社会主義の国を羨ましいとか理想の国だとか言わなくなりました。少なくとも、社会主義国でも経済は自由化すべし、とか言われます。

でもエリオとその家族、友達の生活を見るとそうとも言えない、というかわからなくなります。

ただ確実に言えるのは、主義や制度がなんであれ、国民が貧困に喘いでいたり、貧困でもないのに自殺者が多いのは失敗だということです。

多くの日本人はキューバの人を気の毒に思うかもしれませんが、おそらく多くのキューバ人も日本人をかわいそうに思うはずです。

日本の電化製品やおもちゃを手にしたらきっとキューバの子どもたちは大喜びして、日本の子どもたちはなんと幸せなことか、羨やましい!と思うでしょう。

日本の子どもたちがキューバに行ったらこころの病気がいっぺんに治るかもしれません。

幸せってなんだっけ~とかいう番組が昔ありました。

女帝のような女占い師にみんなハハ~ッとひれ伏して、幸せになるにはどうしたらいいか教えを乞うていましたね。

これほど不幸で豊かな国はありません。

残業を減らしましょう。時間外労働削減のためどのような工夫をしていますか。どうしたら残業を減らせると思いますか。

こんな課題を与えられたらどのように対応したらいいでしょうか。

このような課題は、時間外労働には適正な賃金が支払われていることを前提としているので、どうしても本腰を入れた取り組みができないのではないかと思います。

残業すれば残業代だってかかるのだから、業務内容を見直して残業を減らせば経費の無駄がなくなり、従業員だって自分の時間が持て、ワークライフバランスが実現できるではないか。

残業代でお金をいっぱい稼いだところで使うヒマがないだろう。

ダラダラ仕事をして、終業時間が来れば居残って残業代をもらうのでは、できない社員、怠慢な社員ほど多くの給料をもらうことになってしまう。おかしいじゃないか。

こういった論調がまだまだ主流を占めているのじゃないかと思うのです。

ダラダラであれ、行きつくヒマもなしであれ、所定労働時間を超えればその分の支払いをしなければいけませんし、法定労働時間を超えているなら規程の割増料金を支払わないといけないです。

そこのところの軸があやふやだと思います。

賃金不払いが放置された状態で、残業を減らしましょうって言われても、「サービス残業のこと言ってんのかな?みんなサービス残業だから、書類上は残業ないのだけど…」といったかんじで、なんか釈然とせず、奥歯にものが挟まってるみたいです。

業務の見直しって言ったって、サービス業が主流の現在は人件費が大きいと思います。その人件費を適正に支払う必要がないなら別に業務を見直さなくてもいいのです。サービス残業をさせていればいいだけですから。

ダラダラ効率の悪い仕事に対しても支払わなきゃいけないからこそ、真剣に業務内容の見直しをするわけです。

なので。くどいようですが、サー残をそーっと温存しといたまま、いくら労働時間を減らしましょう!ワークライフバランスを実現しましょう!とやってみたところで、サー残が水面下のさらにふかーいふかいところに潜ってしまうと思います。

生産性を上げるのが目標と言ったって、3人でやってたことを2人にしてサー残させれば生産性は上がるんです。

貴重な時間を使って、サー残に触れないよう、あたり障りのない範囲で堂々巡りの議論をしているのはもったいないです。

健康長寿の秘訣は「きょういく」と「きょうよう」と言われています。

実はこれ、「きょういく」とは、今日、行く所がある。「きょうよう」とは、今日、用事がある。のことなんですね。なるほど、面白いですね(笑)

高齢者の話だと思っていませんか?自分には関係ないと思っていませんか?

リタイアした高齢者と違い、とりあえず行く所と用事(仕事など)はあるかもしれませんが、行っても苦痛、楽しくない、自分が何の役にも立っていない、居場所がないように感じられる…のであえば、たとえ若くても「きょういく」と「きょうよう」が、あるとは言えません。

先日メンタルヘルス研修を受けたのですが、途中に自己肯定感チェックというものをやりました。

まだ20代の若い方がとても自己肯定感が低く、驚きました。

いろんな統計で10代20代の若者の自己肯定感が低いことが発表されています。

どこに原因があるのか…

親の育て方がよく言われますが、あまり、というかほとんど親から顧みられなかった私が自己肯定感が非常に高く楽天的であることを思えば、必ずしも親の育て方ばかりとは言えないようです。

居場所がない、厄介者扱いされている、何もすることがない、どこも行く所がない…は高齢者のこととして問題にされますが、実は現役世代もいっしょなんですね。

むしろ、表面的には忙しいので問題が潜在化していて、メンタルヘルスが悪化しやすいです。

仕事そのものを頑張るのはもちろんです。

ただ、結果がすぐには出ないことがおおくからまわりしやすいです。

趣味でも副職でもボランティアでも、おっせかいでもなんでもいいので、仕事以外に「楽しみ」を毎日が無理なら週に1~2回でもいいのでみつけてみたらどうでしょうか。

私は労働者となって数十年、常に仕事以外のことに夢中になっていました。

あっ、これはおすすめとは言えません。夢中で仕事をして、仕事以外のことにも熱中して、仕事に役立てるというのが本当なんです!

ああ…でも週末にこどもと何をして遊ぶかで気持ちがいっぱい…


メンタルヘルス研修のなかで、「自己肯定感」チェックと「聴く力」チェックをする時間があった。やってみるまでもなく、自分は自己肯定感が高く、人の話を全然聞かないので聴く力がないのはわかっていた。

そのとおりだった。

自己肯定感チェックは10点満点で、聴く力チェックは5点だった。

「よくやってるよなぁ」と心の中で自分に声を掛ける
まあまあ、自分に満足している
他の人ができることは自分でもやれると思う
自分も他人と比べて同じくらいの価値があると思う
などなど、すべて「はい」である…

一方、

自分の感情をひとまず抑えて相手の話が聞ける
相手の話の途中で口を挟むことが多い
話を聞きながらつい別のことを考えてしまう
どちらかというと相手より自分の方が話すことが多い
などなど、すべて「はい」である…

隣に座っていた若いあんちゃんなど、自己肯定感がおそろしく低かったが…
うつ病のセルフチェックでも、ほぼうつ病だったが、大丈夫なのだろうか…

だが、このようなテストというのは、どこまで信頼できるものなのだろうかと思う。
よく理解して正直に回答を出す、というのが前提であるが、誰かに結果を知らせる場合、操作することもある。12月から始まるストレスチェックにしても、50項目を意図的に回答することもできるわけで。精神科医の方は、「正直に真面目にやってください。それがみなさんのためです!」と言うが、労使共に悪用の可能性あり…

メンタルヘルスは面白い領域であるとは思うが、なんか今の動向には疑問あり…むかーしむかし、心理テストが流行ったことがあって、ココロジーとかいうテレビ番組があって、翌日職場で同じテストで盛り上がっていました。メンタルヘルスはコミュニケーションと並ぶ旬な(と言ってもやや長いが)流行りの題材のようです。

精神疾患が特別視されなくなっているのはいいのですが、目に見えてよくなるものでもないのに、心の持ちようや環境でいくらでもよくなると考えられるようになったら、逆につらい思いをする人が増えるかもしれません。

今のメンタルヘルスばやりに危機感を持ってます。

さらに追い込まれる人が増えなければいいのですが…



プロフィール

HN:
みょうみょう
性別:
非公開

 

カテゴリー

 

P R

 

記事一覧