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欧米には、有名人や聖職者が路上生活者に扮して人々を試す伝統があるそうだ。
かつらやメーク、みすぼらしい恰好でホームレスとなり、一晩を路上で過ごしたり、教会などへ行くのであるが、お金を恵んでくれたり優しい言葉をかけてくれる人もいるが、大半は無視か目を背けるかで、なかには汚い言葉を投げつける者もいる。
このような体験でセレブは何を感じ、何を思うのか。
富める者の品のない悪趣味と言えなくもないが、虐げられる人の気持ちが少しでもわかるようになるなら体験学習としての効果はあるのだろう。
セレブは地位やお金で多くの人からもてはやされるわけだが、それに慣れてくると、自分自身の魅力が人々を虜にしていると勘違いしてしまうのだろう。だからホームレスに変身して、自分を認識してもらえず、冷たくあしらわれると最悪の気分になるようだ。
わざわざこんな体験をしなくとも、自分が当然のように享受しているものが、自分の実力などとは全く関係ないと思い知らされることは多々ある。
退職して寂しく、あるいは憤りをもって素の自分の価値のなさを思う人が多いだろう。
何かの手違いで大企業の社員、大物政治家、経営者などなど、本来の身分が認められず横柄な態度を取られ憤然とした人、あるいは大物と間違えられてペコペコされ戸惑った人などもいるだろう。
チヤホヤされて賢明でいつづけることは難しい。
地位や肩書、お金という装飾品のなかから真実を見分けるのは難しい。
上に立つ人は悪趣味であっても、ぼろを身にまとってみないと、人々の真の姿を見ることはできないのかもしれない。
まさかのときの友こそが真の友である。
聖人は打たれてみないとその価値はわからないという。
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