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ドイツからある企業に派遣された青年は「日本は女性の権利と労働者の権利と環境についてはもっとも遅れた国だ」と言った。

ドイツの青年がその社員食堂で食事をとっていたときである。一人の女性がトレーを持って空いた席に座ろうとした際、中年男性がその女性のお尻をスルッとさわった。女性は不愉快そうな顔をしたが無言のまま他の席に移動した。その様子を見た男性社員たちは大笑いしていた。

ドイツの青年は「ありえない」と心底驚いた。お尻をさわったり、大笑いした男性たちはもちろん最低だが、抗議できない女性にも驚いた。

辛淑玉(シン・スゴ)のコラムの後半にあったエピソードである。

コラムの冒頭では別のエピソードが紹介されている。

オーストラリアでの話である。15歳の息子が飛び級で大学に入学することになり、母親が2つのことを守らせる。

一つは、セックスのときは必ずコンドームを使用すること。もう一つは、相手が少しでもNOのサインを出したら、どんな状態のときであってもすぐにその行為をやめて体を離すこと。

15歳の息子は

「じゃあ、お母さん。もしNOという言葉がYESという意味だったらどうするの?」と問い返してきた。

母親は即座に

「そんなバカな女とはすぐに別れなさい」と切り捨てた。

辛淑玉は、日本企業でのセクハラについて、被害者の立場を慮りながらも「(本人たちが)日常の中から少しずつでも変えていかないとダメだ」と言う。

YESをNO、NOをYESと言う人と一緒に生活することはできない。物事を推し量ることがよしとされる社会は、多くの誤解と悲劇を生んできた。その代表がセクハラだと言う。

労使間のトラブルも同じではないかと思う。裁判では、「否定していないから同意したとは言い難い」などの推察はなされているが、いつまでもこんなことではいけないと思う。

察してくれるはず、こう言うしかなかった…だから自分は救済されるべき。甘えた被害者意識からねじれた権利意識が生まれるのである。





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対面でも電話でも、相談を受けるのは苦手である。

自閉症の人は、「普通に会話ができない」「簡単な質問にもすぐに答えることができない」と言われます。音声と意味がバラバラだったり、ひとつのことにとらわれて全体が見えなかったり…当事者や支援者の話ではいろんな原因があるみたいです。

私は自分が相談を受ける立場になると、自閉症の人と同じような状態になってしまいます。(相談を受けるときだけじゃないけど…)

一番の原因は、知らないこと・わからないこと(言葉)があったときに、そこにとらわれてしまい、「なんて答えようか」と焦ってしまうことです。

先日、たまたま「全くわからないこと」と「よくわかっていないこと」についての相談がありました。先方は私がわかっていないなどとはつゆとも思わないので、ガンガンしゃべりまくります。

相手の話のなかで「あれ、なんかおかしいな」「それは違うんじゃないのか」と焦りながらも思うわけですが、自分のわかってなさにとらわれてすでに逃げの体制に入ってしまうのです。

どこか別の機関を紹介するのですが、相手はなかなか引き下がらずなおもしゃべり続けます。感情的になっているときは、適度に相槌を入れながらとにかく聞きます。そうすると、ようやく相手がどうしてほしいのかわかりかけ、いくつか解決策を提示することができます。

私はこのようなとき、つくづく対人関係でつまづく人が多い今の時代の生きづらさを感じます。

意志の疎通がうまくいかず、ギクシャクすることはよくあることです。対面で話していてもうまく伝わらないのですから、電話や電子メールではなおのこと誤解が生じます。うまくいかないことが当たり前なのに、うまくいくのが普通で、それができないのはどこかに欠陥があるから。そう思われているような。これでは人と話すのが怖くなってしまいます。

2つの相談を通して、自分の欠点がよーくわかりました。

それと、もひとつわかったことが。

世の中には自分の知識が間違っているかもしれない、とは考えない人がいるということを知りました。断言するのです。間違ったことを。そして多くの人が、間違ったことでも断言されると信じてしまうということもわかりました。「そこまではっきり、きっぱり言うのだからそうなんだろう」というわけです。

他にも思うことはやまほどあったのですが…

相談事例というのはいろんな意味で次の仕事につながる宝の山です!

先月末からの成年後見人研修に参加しているが、苦行のようなDVD学習がようやく終了した。眠気に勝てず、昼食後などはついウトウトしてしまうが、こっそり周りを見渡すとぐっすり眠っている人が…

弁護士や司法書士・行政書士・社会福祉士につづけ、追いつけとばかりに社労士会も成年後見人に名乗り出るのはいいが、研修はもちっと工夫したほうが…

それはさておき。

気になるのが報酬です。被後見人の資産と後見人の働きによって、家裁が決定するとなっているが。これはつまり、資産のない人の後見人になると報酬がないということである。「この人の成年後見人になります!」と勝手になれるものではない。この点が気になり、研修中聞いてみると、「報酬うんぬんではなく、社会貢献と考えてほしい」と言われた…

納得しかねる。社会貢献じゃないとは思わない。だが…

社会貢献と言いつつ、こんな事例を出された。

ある司法書士から、「資産がなくなったので、成年後見人を代わってほしい」と頼まれた社会福祉士がいて困惑していると。

カネにならない仕事は社会福祉士に押し付けるのか?この点も聞いてみると、「社会福祉士は社福協とかに勤務している場合が多く、そこで給与をもらているから」ということだったが、そういう問題なのか?

司法書士は社会貢献しなくていいのか?社労士はどうするつもりだ?

週刊朝日6月26日号が、「認知症患者を食い物に。悪徳成年後見人に注意」という特集を組んでいた。

財産管理と称して不動産の売却で儲けようとする後見人が後を絶たないとか。認知症患者に公正証書遺言を作成させるトラブルも増加しているとか。

悪事を働くのは主に弁護士と司法書士のようだが、これは成年後見になっている数が多いからであろう。

社労士もいずれこれらの悪徳成年後見人に名を連ねるようになるのだろうか?

選挙権年齢はG8各国では日本を除くすべての国が18歳で、OECD(経済協力開発機構)加盟国では韓国の19歳を除いて日本以外はすべての国が18歳ということだ。18歳が世界的な年齢のようだ。

とはいえ、早ければ来年夏の参議院選挙から実施される見込みらしいが、当の18歳、19歳たちは、降ってわいたような権利に戸惑っているだろう。いや、無関心かもしれない。世間の(票を獲得したいおじさまたち)大騒ぎをよそに、はて?なんのことやら…かもしれない。

学校にしたって慌てて選挙に関する冊子を配られたって、今までそんなことを教えたこともないのに、急に啓蒙せよとか言われたってね、正直腰が引けてるんじゃないですか。

『ネット選挙・解禁がもたらす日本社会の変容』、『無業社会・働くことができない若者たちの未来』(共著)などの著者である立命館大学大学院准教授の西田亮介さんが、若者の政治参加に関して、本質的な問題があると指摘しています。

1つは、18歳選挙権導入で、少数派の若者の投票率があがったところで、はたして政治にどれほどの影響があるだろうかということ。そもそも投票率はあがるのか?若者は勝ち目のないゲームを強いられているのではにか。

それと供託金が高額であること。地方議員選挙でも30~60万円かかるということだ。供託金引き下げの議論はすすんでいないそうだ。

最後は教育の問題です。政治について学ぶ機会がほとんどないからです。

これらの問題点は若年層だけのものじゃないです。18歳選挙導入で問題が炙り出されてきただけです。私たちの世代(40代)やもう少し上の世代も同じです。

数では上の世代に勝てず、資産形成でも不利で、政治について学ぶことがないまま成人し、その後も知らないまま・わからないままで、いつしか選挙には無関心…

若者の問題はそのままわれら熟年世代の問題なのです。成熟することなく老いていく今の時代、今どきの若者は~~などとのんきに言っていられないのです。

今の若い人たちかわいそうだね~と同情する年配世代の人がいますが、かわいそうなのはあなたなんです。そこがわからないことがなお一層深刻なのですが。

保育園や幼稚園での仕事というのは、時間通りには終わらないものである。小さな子供が相手なので、ある程度仕方のない部分もある。だが、突発的な出来事ばかりで時間外労働が多いというわけでもない。子どもと直接接する以外に、毎日の保育準備や行事の準備、クラスの装飾・インテリアの創作に時間を取られていることが非常に多い。

こういったものを簡略化することで時間外労働は減らすことができる。簡略化というと聞こえが悪く、保育サービスの低下につながるのではないかと懸念されたりするが、当たり前のように時間をかけてやっていたことを見直すだけである。

形骸化され、目的がはっきりしない行事はないか。保育雑誌からそっくり模倣したような手のこんだ時間のかかる、それでいて陳腐な装飾は必要か。保護者が読むクラスだよりにイラストがそれほど必要か。日誌などの記録に関して書き方や時間のルールがあるか。

慣行となっているだけで、全く保育の質の向上につながっていないものが多いはずである。

日々の保育業務で手いっぱいで、振り返る時間もないかもしれないが、一度自分の働き方を見直してほしい。

主任保育士や園長などは、自分たちのやり方が非効率ではないか、不合理なところがないか、自分自身のためにも見直してほしい。後輩保育士の声を今どきの子は…と批判する前に、なぜそう思うのかといった本人の気持ちや考えを聞いてあげてほしい。

行事や装飾よりも、保育士からのちょっとした我が子の報告のほうがどれほど嬉しいだろう。手の込んだ装飾の代わりに、子どもたちが毎日「先生にプレゼント!」と言って摘んでいく季節の花が様々な空き容器に活けられているのを見るのはとても楽しい。オタマジャクシやカエル、どじょうやメダカ、トカゲやクワガタ・カブトムシが共生する園は楽しい。

我が家の娘は毎日「~~先生が」「どうした、こうした」と嬉しそうに話す。子どもたちにとって、保育士はとても身近な大切な存在である。そのような人たちが低賃金で蔑ろにされていいはずがない。待機児童さえ解消されればそれでいいわけではない。預かってくれればそれでいいのではない。

限られた資金を自らの意志で有効に使ってもらいたい。

制度がどのように変わろうが、保育は消費サービスではない。




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