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ブータンといえば、国民の幸せ度が非常に高い国で、いつぞや国王夫妻が来日したときも大変話題になった。「幸せ」に敏感な日本人は、GNH(国民総幸福量)という言葉に飛びつき、メディアはブータン特集などをさかんにやっていた。

ブータンはヒマラヤ山脈の東部に位置する山国で、国土の多くは標高2,000メートル以上。主な産業は農業で国民の6割が従事している。まだまだ貧しい国である。こんな国に住む人間でも幸せに見えるのが羨ましいということか?

偕成社からでている『世界のともだち~ブータン』によると、公立の学校は無償ではあるものの義務教育制度はないということだ。

小学校から授業は英語で行われていて、公用語のゾンカ語を使うのは国語と環境学科だけだ。(公用語は他に英語、ネパール語、ブータン語などがある)

なぜ小さなころから英語を習得させるのかというと、自国語で書かれた本が少なく、より高いレベルの勉強をするときには英語が必要だからだ。

リクソルという小2の女の子が紹介されている。両親、祖父母、姉の6人家族である。家事は手の空いた人がするそうで(幸せの原因はこれかも…)、お父さんが皿洗いをしている写真があった。

お父さんは農業機械の使い方を教えており、お母さんは農作物の品種改良を研究している会社で働いている。

お父さんは、より高い収入を求めてアメリカに働きにいき、それまで夫婦で分担していた家の仕事はお母さんが一手に引き受けることになった。その忙しさときたらただごとではありません。牛の世話やら畑仕事、牧草の刈り入れ、チーズやバターも作らねばなりません。

それでもお母さんは「幸せです」ときっぱり言うのです。

はたから見てどうか、他人にどのように見られているか、そんなことは関係ないのですね。

一方、私たちの羨む「幸せ」、あこがれる「幸せ」というのはどうだろうか。

どのような環境、どのような境遇にあっても「絶対幸福である」と言えるだけの確固としたものがあるだろうか。

カネはなくとも溢れかえる物に囲まれ、飢え死にする心配もなく、寒さ暑さに苦しむこともない国の人間が、貧しい国の人間の幸せな様を取り上げて、精神的な豊かさ云々を語るおかしさ。

リクソルが大人になるころ、ブータンはどのような国になっているのだろう。

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「お金は天下のまわりもの」というように、自分の財布から出ていったり入ってきたりするものである。

入ってくるのは嬉しいが、出ていくのはおもしろくないのがふつうだ。夫は固定資産税や自動車税などの納付書がくるたびにうんざりしたように悪態をついている。公共サービスの低下には腹が立つみたいだが、そこに矛盾はないらしい。

それはさておき、お金が出ていくと言ったって、ドブやゴミ箱に捨てたり往来でばらまいているわけではない。そういう人もいるかもしれないがごくごく少数の人だろう。(そんなつもりじゃないのに、そうなっちゃったという人は多いだろうが)多くは物やサービスの購入にお金を使っているのである。

お金が入ってくる場合も同様で、な~んもしてないのにお金が入ってくるということはほとんどない。多くの人は「労働の対価」としてお金を得ているのである。雇用されている人は会社などから、事業主などは客から。

つまり、お金が出ていくのも入ってくるのも双務契約に基づく取引によるもので、そこに特別な意味はないのである。

にもかかわらず、人は自分の財布を満たしてくれる相手をありがたがり、自分の財布から持ち出す相手を忌み嫌い、ときに見下す。

給料をくれる会社に対しては、へつらい卑屈である一方(給料の源泉である客などにはなぜか居丈高だったりするが)カネを払う商店などでは店員に対し、横柄で傲慢な態度を取る人。

取引先の客には揉み手でおべんちゃら三昧である一方、出入りの業者などには恥ずかしくなるほど居丈高にふるまう人。

会社間の取引であっても同様だ。

一見カネをくれる相手を大事にしているように見えるがそうではなく、カネをくれるから自分の本心(相手を見下したり蔑ろにしたり)を隠して歯の浮くようなおべんちゃらを言うのである。へつらっているのだ。

労務やサービス、情報などを受けておきながら、「カネを払ってやる」といったふんぞり返った態度でいる。

自分はどうか。自らを振り返ってみて、おおいに反省しなければならないところがあるかもしれない。

社労士は顧問先から「先生」などと呼ばれて、やや丁重な態度でもてなされているかもしれないが、相手の本心というものを考えてみたことがあるだろうか。

自分では顧問、コンサルタントと思っていても、相手は出入りの業者と思っているかもしれないのだ。だが、出入りの業者だからこそ見えるものもある。うまく利用してやろう、安く使ってやれ、このような事業主の本音は「先生」では見抜けない。

イクメンに逆風か?

日刊ゲンダイが、「うっとうしい育メン社員・もっと仕事しろ」と題して、困ったイクメンを取り上げている。

妻子が病気で病院に付き添って遅れるのはいいが「午前休」といいながら現れるのは午後4時近く。それも連絡なし。そんなことが1年に何度とある。

子どもを風呂に入れるので、と夕方抜け出す。打ち合わせまでには戻ると言いながら、やっぱり遅れる。大変だねとねぎらっていた女子社員も次第に、子育てを免罪符にさぼっているとカンカン。
 
定時になると仕事を残して「お先でーす」と帰ってしまう。時間内にできるはずなのにやろうとしない。制度を逆手に取った手抜きの態度が腹立たしい。そのくせビジネス書を読んだ感想をFBに投稿し、今あるのは家族や会社のみなさんおおかげ。もっとスキルアップできるよう頑張ります、とちゃっかりアピール。同僚からはスキルアップの前に仕事をやれと陰でツッコまれているが、本人は気づかず。

イクメンなどと持ち上げてるからこんなことになるんだろ!と言いたくもなります。

たかが子守の手伝いをしたぐらいでチヤホヤしたのは誰だって思います。

イクメンそのものも、ゲンダイじゃないが「頑張るおれってかっこいい」とか思ってるっぽくうっとおしいが、イクメンもどきには、妻だってムカついてると思うよ。

短い育休を取って、子どもを近所の公園に連れて行って、自分はラジコンで遊んでたりすると、そりゃ腹も立ちます。料理・掃除などの家事はろくにしないしできないしね!子守やってるからって、仕事や家のことをしなくていいなんて思ったら大間違いだからね。

女だっていっしょですが。「子ども」って言えばなんでもオッケーと思ってる身勝手で幼稚な主婦はいます。「子ども」が「だんな」や「自分」にすり替わってたりもしますし。

でもですね、やっぱり思いますよ。

そんな男に誰がした、そんな女に誰がしたって。

女性が輝くだの活躍する社会だのといって、オンナがつけあがったからって文句言うんじゃないよ!!

今年1月に出た新オレンジプランにより市町村が「初期集中支援チーム」を設けて、「認知症疾患医療センター」(全国に250か所、精神病院が6割)などにつなげ、早期診断を行う体制が強化される方向に…

認知症初期支援チームは、看護師や社会福祉士などに必ず医師1名が加わった3名以上で構成され、在宅を訪問して6か月間集中的に支援を行うというものらしいが…

このような施策に対し

疑わしい人をつかまえて診断して医療につなげるというもので、使い方によっては「認知症狩り」になりかねない。半年経ったらまた次の獲物を探しに!?

と懸念しているのは、NPO法人グレース機構の代表:柳本文貴さんです。

チーム員は国の決めた研修の受講が必須らしいですが、そのテキストというのは…

徘徊についてこう書かれています。

以下のような行動

⑴物事を調べてまわる
⑵人の後に「ついていく、またはしつこくつきまとう
⑶ぶらぶら歩き、または探し回ること(家の周りや庭を歩き回って、何か仕事(例:洗濯、洗濯物干し、掃除、草取り)をしようと無駄な試みをすること
⑷目的なしに歩く
⑸夜間に歩く
⑹とんでもないところに向かって歩く
⑺活動過多
⑻さまよい歩き家得つれてかえる必要が生じる
⑼繰り返し家を出ようと試みる

これっていったい…

柳本さんじゃなくても愕然としますよ。

このような研修に受かったチーム員が認知症の疑わしい人を探し回って、しつこくつきまとうような徘徊を見かけたら要注意。くれぐれも活動過多にならないよう願うばかり。と、柳本さんは深く憂えています。

それにしても…

徘徊の項目、どれも自分や家族に当てはまることばかり。あなただってそうでしょ?

物事を調べまわって、ひとにしつこくつきまとう。ある種の職業の人はこれが仕事でしょ。

目的なしに歩く、夜間歩く、とんでもないところに向かって歩く、さまよい歩く…全部やってるよ私は。

「家の周りや庭を歩き回って、何か仕事をしようと無駄な試みをすること」って、なんかひどくないか?私も職場で同じことをしているから身につまされるよ…

改正安衛法のストレスチェックにも同じにおいがするのですが…くんくん

認知症やうつ病の人を探し回って徘徊するカン違いおせっかいヤローには要注意ですぞ!!

社労士試験の勉強をしているとき、労働安全衛生法の内容がなかなか覚えられず苦労しました。

どの届出・許可が労働局長で、どれが労働基準監督署長で、厚生労働大臣はどれだったっけ?ってなかんじで、若くない粗雑な頭には記号暗号のように覚えづらいものでした。

自分の住む地域のどこに労働局があって、労働基準監督署がどこにあるのかをまず知らないわけで、具体的に思い浮かべることもできないのですから、抽象思考がはなっから苦手な人間に覚えられずはずがないのです。

そもそも労働局なんてものもよくわかっていませんでしたし…労働基準監督署はなんとな~くですが、労働局よりは実在するものとして多少は知っていました。

一度労働相談に行ったことがあったからです。ものものしいかんじがして、やけによそよそしく早々に引き揚げてきました…

さて、安衛法ですが労基署とも労働局とも労災保険ともかかわってくるわけですが、にもかかわらずなんかあんまし馴染みのない法律なんですね。

ボイラーやクレーン、デリック(なんじゃろ?って思いました)、ゴンドラなど縁のない機械用語がでてきて、それだけに嫌になりました。

働いている人だって建設や化学物質関係以外の人だと無縁なかんじがします。健康診断はみんな会社で受けていると思いますが、これだって安衛法などというものに規程されているとは多くの人が知らないと思います。

久しぶりに富田先生の「うかる!社労士総合テキスト」を開いてみますと、昭和47年に労働基準法から独立した法律で、安全衛生に関する労働条件を具体的に定めたものとなっています。

労働災害の防止がその目的なんですね。

で、思ったんですが「安全」「衛生」って言葉がよくないんじゃないかって思います。まず「安全」って、なんにでも使われますが、もう使い古され過ぎて陳腐で全然効用がないです。形骸化してます。安全・安心は使っとけばいいやろ程度の用語になっています。そして曖昧すぎます。漠然としすぎています。安全と聞いて襟を正す人はいません。

「衛生」は戦前と当局のにおいがしていてダサすぎます。美容師さんが自分の職業を衛生業だと知ったらがっかりくると思いますよ。えっ?ファッションと違うんか?って思いますよ。私は介護・保育の仕事をしているとき、保健衛生のカテゴリーに分類されていてや~な気分になったもの。

労働者の健康を守るぞ法でいいんやない?浸透させたい法律には愛称をつけなきゃ。マイナンバーみたいに。

働く人にとっても社労士試験を受ける人にとっても、身近な法律として親しみを持ってもらいたいものです。

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