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教育関連の月刊誌に、あるひとりの工業高校の先生が取り組んだ学校改革についての報告が載っていました。

工業高校に赴任して学校生活をスタートさせた途端、驚くことの連続だったそうです。

2、3年生のほとんどが学生服の第1ボタンを開けているので注意すると、「第1ボタンは開けていいと先生に言われている」とのこと。そんなはずはないと他の先生に確認すると、生徒の言うとおりだった。第2第3ボタンまで開けている生徒が多く、どれだけ注意をしても直そうとしないので、苦肉の策として第1ボタンまでは開けていいということになった。

遅刻者が多く、1つのクラスから1学期だけでのべ200名以上の遅刻者。女子のスカートはいくら注意をしても短く、男子の頭髪は長髪茶髪。再検査、再再検査、再々々検査をしても直さず、お手上げ状態。昼休みには学校を抜け出し飲み物や昼食を買いに行く。廊下を歩きながらのケータイ使用。いくら生徒指導を切り返しても暖簾に腕押し。

その先生は、「なぜ、ここまでひどい状態になってしまったのか?」と考えました。

一人ひとりの教師は学校をよくしようと懸命に努力している。これは個々人の問題ではない。教師集団として生徒指導の明確な基準を持って一枚岩となって指導に当たる必要があるのではないかとの結論に達しました。

改革その1は、生徒指導において生徒の不平等感をなくすため、科ごとではなく学年主体で指導をすること。

改革その2は、専門分野での指導に全力を尽くすこと。

これを聞いてはて?当たり前ではないかと思う人がいるかもしれない。しかし、改革としてやらねばならないほど、職業科の学校においておざなりにされていることと思われる。

ずいぶん前のことであるが、電気工事関係の人が「むっちゃ腹立った」と話してくれたあるエピソードがある。

電柱に登って仕事をしていたとき、1組の親子が下を通りかかり、母親が彼を指さして小学生の息子にこう言ったそうだ。「勉強しないとあの人みたいになるよ!」失礼極まりない言葉だが、半分は真実である。

職業科の高校は周辺校と言われ、勉強ができない生徒がいくところとなっているからである。なので、商売や機械電気などが大好きでまじめに勉強しているとからかわれたりする。教師だって本気で職業訓練しようとは思っていない。こなしているだけである。

だが、母親の失礼な言葉は半分は間違っている。工業高校に入ったって勉強しなければあの人のようにさえなれないのだから。

手始めに、電気科の2年生全員と3年生は希望者だけが受験していた国家資格の「第2種電気工事士試験」を1年生から受験させることにして、朝の35分間を学習時間にあてる。効果は大きく、就職難と言われる年でも100%の就職・進学率となる。電気に直接的には関係しない機械科やインテリア科の生徒にも受験させることに。新入生は入学式の次ぎの日から朝の学習をスタート。

一部の先生からは、なぜうちの科が電気工事士の試験を受けなければいけないのか、朝学習は勤務時間外なので強制されるのはおかしいという反対の声もあったが、最後には納得してもらい全教員で取り組んだとのこと。

欠席遅刻は激減、問題行動も影を潜め、地元企業からの求人も増えました。

さて、この学校はブラック企業なのでしょうか。

「残業代が出ないのに」生徒のため毎朝35分(準備などを入れればもっと)勤務を強制されるのは苦痛です。

「残業代が出ない」ということは「残業はないものとして扱う」ということです。非正規公務員の経験のあるかたはご存じでしょうが、「公務員」に残業代はでません。

教育としての取り組みのみならず、教員(公務員)の労働問題としても興味深い体験報告です。

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「部活顧問はブラック労働」と叫ぶ若手教師、どう思います?

こう問いかけているのは週刊ポストである。

オネエちゃんの裸と芸能ネタがメインの週刊誌だが、なぜか政治経済社会ものも大きく取り上げている。

週刊ポストは、若手教師の間に、部活顧問をしたくないという意識が蔓延していることを由々しき問題として危惧しているようだ。

中高時代の恩師として印象深く思い出すのは、週に数時間接するだけの教科の先生ではなく、放課後や土日に多くの時間を共有した部活の顧問であるとして、父子家庭で弁当のない生徒に、監督が握り飯を食べさせたとかいう麗しいエピソードを紹介している。

甲子園の名物監督も登場させ、「私は自分の子どもを遊びに連れて行ったこともはないし、家庭を犠牲にしてきたことも否定できないが、それは生徒のためだから胸を張れる。子どもも、私が甲子園に出場したり自宅にOBなどが訪ねてきたりして、尊敬される仕事をしているのだと理解し、私の背中を見て学んでいたはず。部活顧問が忙しいから家庭崩壊なんておかしな話だ」と語らせている。

部活顧問が大変なのは事実だとして、ある公立中学の師の、日曜日に朝7時半から夕方5時まで付き添って、1000円の手当しかつかない、未経験の部活の顧問もあり得る、保護者のほうが詳しくて指導法にクレームがくるといった苦労話を紹介しつつ、一方で、そういう教師自身が部活の意外な効果を実感していると明かす。放課後土日と練習するので、子どもたちは悪さをする時間がないと言う。

このように部活顧問の正当性を並べ立てた後、若手教師が部活顧問をしたくないと叫ぶのには、もっと根本的な問題があるのではないかとして、ある中学校長の見解を紹介している。

かつては、部活を熱心にやった経験から教職を目指す学生が多かったから、部活の指導も職務のうちと考える教師が普通だった。ところが近年の安定志向の中で、中学・高校で帰宅部だった学生が、教員は給料が安定しているからという理由で教職を目指すようになっている。

知らなかった…かつては、部活を熱心にした学生が教職を目指したものなのか…(かつては、部活は強制的でほとんどの生徒が部活をやらされていたような…)(今はおそらく昔ほど強制的ではなく、帰宅部?部なのか?の生徒が多いのではないか…)

かつては、安定した給与が就職を決める基準ではなかったのか…

給与が安定しているということは、働き方が全然安定しておらず、残業ありまくりということだが…それでも、配偶者が専業主婦やパート主婦、あるいはじじばばに家事育児を丸投げすれば家庭は崩壊しないが…

オネエちゃんの裸と芸能ネタがウリの雑誌に硬いことは言いたくないのだが、どうやらポストはジャーナリズムの端くれとの自負があるようで、最後に部活顧問拒否の教師にこう釘を刺している。

教師を聖職と呼ぶのは時代遅れかもしれないが、少なくとも生徒と向き合う情熱のない教師には、「師」たる資格はないのではないか。

その言葉ポストにもそのまま返せばいいのです。

読者と向き合う情熱のない者をジャーナリストとは言わないだろ。

書籍には当然のように軽減税率が適用される。そういうとこだけはちゃっかり欧州を真似しているようだ。私は週刊誌月刊誌なども含めて年間300~500冊ほどの書籍を見たり読んだりするので、消費税10%は痛い。(8%でもいっしょだけどね!)日本は書籍が低価格なのでありがたい。(北欧の図書館の普及率などを礼賛する人はそこんとこ知らん顔してますがね!)(それなのに、文庫や新刊の単行本を何週間も待って借りて読む人が多いのが残念です。安いのが当然なのでありがたくもないんですね。タダで読めるならそのほうがいいやってかんじですか)
そんな私ですが、出版物が当然に軽減税率の対象かと言われたら、そんな価値があるかというのが正直な気持ちです。

教師の労働問題は教育問題が絡んでいるだけに、私の経験疲労合戦になりやすいです。

公務員にはなぜ残業代がつかないのか。

おれらの時代は~とは別の観点からの議論が必要なのです。


介護する側が介護される側を虐待・殺害したことに対して、今現在日本ではずいぶんと加害者側に同情的である。

介護に絡んだ殺人事件は執行猶予がつき、判決を言い渡す裁判官の物言いもなんだか優しげである。

施設職員による虐待にしても、世間からは加害者を責めるような言葉はあまりなく、労働のキツさや賃金の低さが必ず原因として挙げられている。

とても興味深いことである。

介護以外に、「同情すべき理由」のある犯罪、例えば貧困、差別、紛争などが原因となっていそうなものに対しては、むしろ自己責任的なものが多く、厳罰化が進んでいるようだが…

高齢化が進み、多くの人が中高年なので共感が得やすいのだろう。

自分にも親や配偶者の介護という厳しい試練が待ち受けているという共通認識があるようだ。

だが、自分が介護を受けるときのことはまだあんまりピンとは来ていないということが、介護する側への同情から読み取れる。

年齢7かけの精神年齢に加え、あくまでも、高齢による介護しか念頭にないせいもあるだろう。

高齢による要介護化はほぼ避けられないものだが、突然の病気やケガによる要介護化はよほど運が悪くないとあり得ないという楽観視がどうしてもあるのかもしれない。

貧困や差別、紛争などへの共感の低さも同じであろう。自分が悪いか運が悪いかのどちらか、あるいは両方であり、いつ自分がそこに堕ち込むかわからないとは認識していないと思われる。今は他人事だがいつ我が事になるかわからないといった危機感に乏しいのである。

介護者に同情的なのはいいが、それは要介護者にとってはとうてい浮かばれないものである。

自分自身が要介護者になったとき、社会に人に迷惑をかけるだけの存在だから殺されても仕方がないのか。

今自分自身が認知症であったら、全身麻痺の状態であったら。

このような観点からも介護の問題を考えたい。
労働政策研究・研修機構研究員の濱口桂一郎さんが、ご自身のブログで、長時間労働規制がなかなかすすまない理由を、男性社員のガンバリズムで説明しておられました。

労働者側が長時間規制を唱え、経営者側がそれに反対するというわかりやすい構図に見えるが、現場レベルに行けばそんな単純なものではない。労働者側としては、たくさん残業して残業代を稼ぎたいという本音があることは確かだが、それだけにとどまるものとも言えない。実はここには、日本型雇用システムにおける長時間労働の意味が露呈しかかっているのではないか…というものです。

日本型雇用システムにおける長時間労働の意味っていったい何なのでしょうか。

大卒男性は将来の幹部候補として採用・育成され、十数年は給与の差もわずかで、管理職になるまですべての人に残業代も支払われ、多くの人が将来への希望(いずれは大幹部?)を抱いて働き、働かされる。しかし。誰もが部長や役員まで出世できるわけではない。かくして、日本には「ふつうのエリート」が大量発生するのだが、その実体は「ふつうの人」に「欧米のエリート並みの働き」を要請しているだけ。欧米には「ふつうのエリート」などおらず、ごく少数の「エリート」と大多数の「ふつうの人」がいるだけである。

少数ながら部長や役員に出世する人もいるんだからこの「平等な」システムも悪くないじゃないかと思うかもしれないが、そうではないからこそ長時間労働が問題になってくるのだと濱口さんは指摘しているのです。

このシステムにおける「平等」とは、女子どもに支えられがむしゃらに仕事にまい進できる者だけの「平等」にすぎず、できないものははなっから戦力外というインチキ平等なのである。男にとっての平等は女にとってはなんら平等ではないというものです。

ノンエリートの男性たちのガンバリズムの平等主義が戦後日本の経済発展の原動力の一つとなったことは間違いないが、その成功の原因が、今や女性や、さらには男性でもさまざまな制約のために長時間労働できない人たちの活躍を困難にし、結果的に日本経済の発展の阻害要因になりつつあるとすれば、私たちはそのガンバる平等という戦後日本の理念そのものに疑いの目を向けて行かざるを得ないでしょう…と結ばれています。

私はこの記事を読んで久しぶりにあることを思いだしました。

20年ほど前でしょうか、NHK総合だか教育だかで「真剣10代しゃべり場」という番組がありました。10代の若者がテレビカメラの前で好き勝手なことをしゃべるだけで、あんまし真剣でもありませんでしたが…参加を許されている大人は一人だけです。そのときのゲストはゆとり教育の推進宣伝マンである文部省官僚の寺脇研さんでした。
寺脇さんはラサール高卒東大卒のエリート官僚です。学力格差がいかにいけないことか、落ちこぼれる子どもがいることがいかに問題であるか、競争がいかにいけないかを真剣な表情で10代の若者に訴えていました。医学部を目指しているとかいう進学校の学生も同じようなことを言っておりました。しかし、他の参加者、エリートではないフツーの10代からは大ブーイングでした。「競争がなかったらどうやって上に行くんだ!ゆとり教育なんてとんでもない!」というのです。エリートがゆとりを重要視し、ノンエリートが詰め込み競争を支持する…とても興味深いものがありました。寺脇さんの苦笑いとエリート学生の憮然とした顔が印象的でした。

もとより「ゆとり教育」がゆとりなんぞどうでもよく、たんにエリートを生産したかっただけなのは今では周知のことですが、(寺脇さんもほんとのところはわかっていたと思います。)その他大勢のノンエリートはたまりません。入り口で選抜されて、おまえは就職に役立つ教科だけを勉強しろなんてたまったもんじゃありません。猛烈な反対があるのも当然です。

でもですね。競争で上に行くチャンスがあるという学生はやはり、努力する環境がある程度整っているんです。とりあえず大学行って、でもなんか違くない?と不満に思い、親にキレられながらも専門学校に入りなおしたり、留学したりが可能な子たちです。あの頃は今ほど子どもの貧困が騒がれていなかったけれど、高校に行けない、大学に行けない子どもたちにとっては競争は全然上に行くチャンスなんかではないのです。はなっから無縁なのです。

こうやって、多くの子どたちが(むしろ親か)がんばって大学行って学位とか取ればいい就職口があり、出世できると夢見て、教育を投資とみなし、奨学金なんかもがんがん使って、どんどんできてくる大学にどんどん入っていったというわけです。

そして今できすぎた大学を(誰でも入れるような大学は文系が圧倒的に多いようです)どうする…ってのでつぶすわけにもいかず、職業大学だのなんだのとやってるのですね。

労働問題と教育問題、双子ちゃんのようです。

平成26年の労働判例を読んでいたら、精皆勤手当ての支給要件に、遅刻早退欠勤がないことと、年次有給休暇を取得していないことを入れるのは有効であるというのがありました。

ミキサー車を使っている会社で、会社にとってミキサー車を効率よく稼働させることは経営上の重要な課題であり、配車表作成後に、代替要員の確保を要する事態を生じさせない配慮を行った従業員に対して支給するために創設した手当であることが明らか。そして、年次有給休暇取得による精皆勤手当ての減額が1日あたり月平均月給の1%未満、最大で3.5%未満であることがその理由です。

納得できるかどうかは別ですが、裁判官の考え方に、ふーん。と思いました。

私は精皆勤手当の不支給要件に年次有給休暇取得が挙げられていたら、もうそれだけで有休の取得を抑制しているというふうに考えていました。

精皆勤手当てそのものにも時代遅れ的な印象を持っていました。
 
育児や介護などをしていると、遅刻や早退、欠勤はある程度生じますし、年次有給休暇を取得せざるを得ないこともあると思うのです。そうなると、精皆勤手当ては制限なしに働ける人に有利ということになってしまいます。

ただ、就業規則を読んでいていつも思うのですが、遅刻や早退・欠勤は「正当な理由のないもの」は懲戒の対象となるとしながら、なにが正当でなにが正当でないのかはっきりせず、曖昧です。結局、通院(自分でも家族でも)その他の理由によるものもうっかり寝坊・行く気になれずといったものも同じ扱いになっています。

寝坊や怠慢・他の就業のための遅刻早退欠勤を防止するための精皆勤手当てなら有給取得は入れるべきではないと思います。

ただですね、事情により当日の遅刻早退欠勤を有休に振り替えられるという規程がけっこうありますが、これが恣意的に(ようするにデタラメに)運用されているとしたら、(上司の裁量で、つまり気分や好き嫌いで)入れなきゃならなくなります。

有休が事情アリの当日遅刻早退欠勤の受け皿などになっていなければ精皆勤不支給の要件に入れる必要はないと思います。

いずれにしても、機械的に判断するのではなく、実態を十分調査したうえでないと「合理的」か「社会通念上相当」かなんてわからないのですね。

簡単に済まそうと思うのが大間違いなのですが、逃げの姿勢がついつい出てしまいます…

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