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介護する側が介護される側を虐待・殺害したことに対して、今現在日本ではずいぶんと加害者側に同情的である。

介護に絡んだ殺人事件は執行猶予がつき、判決を言い渡す裁判官の物言いもなんだか優しげである。

施設職員による虐待にしても、世間からは加害者を責めるような言葉はあまりなく、労働のキツさや賃金の低さが必ず原因として挙げられている。

とても興味深いことである。

介護以外に、「同情すべき理由」のある犯罪、例えば貧困、差別、紛争などが原因となっていそうなものに対しては、むしろ自己責任的なものが多く、厳罰化が進んでいるようだが…

高齢化が進み、多くの人が中高年なので共感が得やすいのだろう。

自分にも親や配偶者の介護という厳しい試練が待ち受けているという共通認識があるようだ。

だが、自分が介護を受けるときのことはまだあんまりピンとは来ていないということが、介護する側への同情から読み取れる。

年齢7かけの精神年齢に加え、あくまでも、高齢による介護しか念頭にないせいもあるだろう。

高齢による要介護化はほぼ避けられないものだが、突然の病気やケガによる要介護化はよほど運が悪くないとあり得ないという楽観視がどうしてもあるのかもしれない。

貧困や差別、紛争などへの共感の低さも同じであろう。自分が悪いか運が悪いかのどちらか、あるいは両方であり、いつ自分がそこに堕ち込むかわからないとは認識していないと思われる。今は他人事だがいつ我が事になるかわからないといった危機感に乏しいのである。

介護者に同情的なのはいいが、それは要介護者にとってはとうてい浮かばれないものである。

自分自身が要介護者になったとき、社会に人に迷惑をかけるだけの存在だから殺されても仕方がないのか。

今自分自身が認知症であったら、全身麻痺の状態であったら。

このような観点からも介護の問題を考えたい。
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