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東日本大震災から5年経つのですね。もうなのか、まだなのか、被災された人にとってひとくくりにできるものではないと思います。

私は5年前の震災当日、遠く離れた北陸の地で、特別養護老人ホームで仕事をしていました。その日のテレビは1日ずっと震災情報でしたが、まだ被害の状況がはっきりわかりませんでした。

その後、施設からも数人が被災地に救援活動に行き、報告を聞きました。

あれから5年。購読する雑誌や新聞には定期的に被災者の声や復興の進捗具合などが出ていましたので、まだまだ終わりのない仮設暮らしが続いている人が多いこともわかりました。

震災当時あれほど節電節電と騒がしかったのに、今じゃ節電て何?電力自由化でしょ?というかんじです。1年ほど前に電力会社の方が家庭訪問に来られ、やはり「今じゃ節電なんて誰も言わないね…」と話されていました。

被災された方と比べるのは気が引けますが、私自身の生活も5年前と大きく変わり、5年経ったのか…と振り返ってみました。

元々仕事は長続きしないのですが、この5年間は老人ホームの介護職員から在宅のケアマネジャー、マックの主婦クルー、社会保険労務士として開業…とめまぐるしく変わりました。

長い間夫婦二人で身勝手な生活を送ってきたところに、突然小さな子どもがやってきて生活の激変を余儀なくされました。仕事を変わらざるをえなく、子どもを抱えていると貧困に陥りやすいのだということを身に染みてわかりました。

私たちが最底辺にまで堕ちなくて済んだのはまったくの偶然だと思います。努力はもちろんしましたが、どれだけ努力をしても無理なことがあります。我が家には便利なおじいちゃんおばあちゃんが一人もいません。ベビーシッターを雇うお金もありません。近所の人や知人友人に助けてもらって、なんとか小学校入学までこぎつけました。

5年後、きっと我が家には嵐が吹き荒れているのだろうけれど、それが人生なのですね。まさかこんなことになるなんて!苦難の真っ只中にいる自分が見えるような気がします。

社労士の次はなんだろう。
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平成24年の労働裁判記録を読んでいたら「大阪労働局長事件」がありました。

平成22年に、全国過労死を考える家族の会代表が、社員が過労死した企業の名前を公表するよう国に訴えを起こしています。

大阪労働局管内で起きた過労死について、企業名を公表するよう労働局に開示請求したところ、開示すれば被災者が特定されるおそれがあり、開示すべきではない個人情報に該当するということで、労働局は開示に応じませんでした。審査請求もしていますが、結果を待たずに国に提訴しています。

1審の大阪地裁では、企業名は不開示情報に当たらないので開示すべきとの判決でしたが、2審の大阪高裁では、不開示情報に当たるという判決でした。

2審の大阪高裁では、情報公開法5条2号イの「法人等に関する情報であって、公にすることにより、当該法人等の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるものを不開示情報と規定する」に力点が置かれているように思いました。

労災保険は使用者の過失や法令違反の有無を問題とするものではない。労災認定されたからといって、それだけで使用者に過失や法令違反があることを意味しない。このことが広く認識されているならば、たとえ企業名が公開されたとしても、不当に利益を害するとはいえない。しかしながら、実際には、過労死があったという事実だけで、ブラック企業と決めつける報道が多く、当該企業製品の不買行動を引き起こしたり、求職者が就職を避けるといった不利益のおそれがある。

労災認定の事実が、ただそれだけで使用者の過失や法令違反をただちに認めるものではない。

公正な判断だと思います。

労災認定されなかった場合にも同じことが言えます。労災認定されなかったという事実が、ただそれだけで使用者に過失がなかった、法令違反がなかったと認めるものではない。

しかし、これまで数多くの企業が行政の判断をもって、労災ではなかったのだから会社に過失はない、責任はない、賠償に応じる必要はないと被災労働者や家族の声をつっぱね、司法においても、行政の判断をそのまま支持してきたのではないでしょうか。

憲法で独立が保障されているにもかかわらず、行政におもねった判決をしている司法の公正とはいったい何なのでしょう。

一方に対してだけ公正であるということは不公平です。

原告の過労死を考える家族の会は最高裁に上告しましたが、訴えは退けられ、2審の大阪高裁での判決が確定しました。(2013年10月)

嫌がらせであろうと恫喝であろうと憲法で保証されているため誰でも訴訟が起こせる一方で、国から門前払いされるというのはありなんですね。


ところで、脳・心疾患で亡くなった場合、その人個人の個別の事情というものがあり、過重労働が病気を増悪させたからといって、同じ部署等で働く他の労働者にも同様のリスクがあるかどうかということですが。義務化されたストレスチェック制度が労働者を集団としてとらえ、職場環境の問題点を抽出して個人の仕事の負荷を軽減するのが目的だとしたら、過労自殺だけではなく、脳・心疾患等に関する過労死そのものを減らしていくことも可能なのだろうか。
歌手のアグネスさんが、月刊誌「第三文明」4月号で、アメリカ大統領選について簡単に状況を説明とし、感想を書いています。

共和党のトランプ氏は言いたい放題のスタイルで選挙活動を繰り広げ、どう見ても品の良さに欠けるにもかかわらず、彼の言葉は多くのアメリカ人の心に響くようだ。

民主党のサンダース氏は貧富の格差を問題視しており、「人口の1%がほとんどの富を所有しているのはおかしいので是正する」と繰り返し訴えている。大学へ行くために多額の借金を抱えてしまう若者や、低収入の人、失業中の人たちが彼のメッセージに共感している。

クリントン氏は、固定した支持層を持っているが、組織やお金のいいなりになると非難されている。

トランプ氏やサンダース氏の言葉はアメリカの大衆にとって、聞き心地がよいのだろう。
現体制に不満を抱く人々が、違う候補者を求めている。

サンダース氏の話には同感だが、本当に実現できるのか?
トランプ氏は皆が言いたいことを豪快に言ってくれるが、このような人が大統領では困るのでは?
クリントン氏もいいが、新鮮味がなくてつまらない。

現状をよくしたい。未来を希望のあるものにしたい。このように現状や未来を真剣に憂える人たちにとっては、判断に迷う難しい選択だと思います。

自分の思いを実現したい。そのためには誰に投票すべきか。これはもっともなことに思えるかもしれないが、人任せに過ぎるようにも思う。よいことをしてくれそう。実力がありそう。現状を打破してくれるかもしれない。

数年前に、ある政党に対して日本国民は儚い期待をかけました。いざ政権運営がはじまり、目も当てられないような惨状を呈して退場した後、保守政権が基盤を固めています。まるで雨降って地固まるです。

トランプ氏のような放言癖のある人は日本にもいますし、やはり人気があります。
サンダース氏のような人もいます。現状をなんとかしてほしいと願う人たちから徐々に支持を集めているようです。
クリントン氏のような人はどうでしょうか。

選択肢がないなかで、最悪の選択をしないためにはどうしたらいいのでしょう。

今がしんどい人は、藁にもすがる思いで現状を変えててくれそうな人を支持し、自分にもチャンスが到来するかも!と期待する人は強気の人を支持するかもしれません。不満はあるけど自分のことで手いっぱいで、他のことに無関心という人がもっとも多いと思うのですが、このような人たちはどうでしょうか。

日本も夏ごろ選挙がありますね。


最近、倫理という言葉をよく耳にします。

これって、良心とか規範とか道徳とか、なんかそんなような意味なんでしょうか?なんとなくはわかるけどよくわからないというか…

なぜこのように思うかというと、倫理観が欠如しているのでは?と思われる人が倫理が大事とかフツーに臆面もなく言うので、すごく混乱して戸惑うのです。もしかして、私は意味を間違えているのかもしれないと思ったのです。

確認してみました。

Goo辞書には、人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの。道徳、モラルとあります。

日本看護協会では、以下のような説明がありました。

倫理と聞くと、哲学的でとても難しいもの、というイメージを持っている人も多いことでしょう。
しかし、「倫理」の意味を正確に知れば、そのイメージは払拭されるのではないでしょうか。

「倫理」とは、簡単に言うと、次のような意味を持っています。


つまり、社会生活を送る上での一般的な決まりごと、と捉えることができます。

これを踏まえ、以下の問いに答えてみましょう。

あなたが道を歩いていると、血を流した人が倒れていました。
辺りを見渡しましたが、その人の近くにはあなたしかいません。
あなたならどうしますか?
① すぐに駆けつけて救護する
② ひとまず119番に通報する
③ 一人ではどうしたら良いのか分からないので、誰かが通りがかるのを待つ
④ 怖いので、見なかったことにして通り過ぎる

あなたが選んだ番号はどれでしょうか。
①や②を選んだ人も多いことと思いますが、実際にこのような場面に出会った場合には、つい④を選んでしまう人もいることと思います。
しかしその場合であっても、その人のことが気になり、少なからず後ろめたさを感じてしまうのではないでしょうか。

ではなぜ私たちは、見知らぬ人を助けようと思ったり、助けなかった場合に後ろめたさを感じたりするのでしょうか?
それは、私たちが「人の命は尊いものである」という考えを日頃から持っており、それに基づき「人の命を助けること」は“善いこと”、“正しいこと”であると判断しているからなのです。

このように、私たちが社会の中で何らかの行為をするときに、「これは善いことか、正しいことか」と判断する際の根拠を、「倫理」といいます。


当たらずとも遠からずでした。自分が理解していた倫理はもっと漠然としていたので、この看護協会の説明はわかりやすく、一歩踏み込んだ考えでよいと思いました。


社員をうつ病に追い込んだ社労士が懲戒処分を受けて、それを不服として提訴して…社労士倫理がなんたらかんたら…倫理研修は数年に1回は受けなきゃいけないもので、私も去年か一昨年受けました。そのときに、社労士倫理とは職業倫理であると念を押されました。自分自身の倫理観ではなく、社会保険労務士としてどうかということを自ら問わなければならないとの意味だったと思います。でもですね、職業倫理は個人としての倫理があってこそではないのですか。この両者をまるで別のもののように思うから、自分個人としてはどうかな~と思うが、社労士としてはむしろやるべきなんじゃないかな~などという詭弁が正当化されるのではないでしょうか。
処分された社労士のブログは県会はもちろん、多くの社労士が知っていたと思います。あのブログは職業倫理としてはオッケー、多くの社労士がそう思ったんじゃないですか?ところが世間はそうじゃなかった。世間が大騒ぎしてから倫理倫理といっしょになって騒いでいるだけじゃないですか。職業倫理としてはオッケーの言い分として、解雇があまりにも困難だからあのようなやり方を社労士がせざるを得ない…などというものまであるようです。

信義に反する行いを平気でする人も平気で倫理倫理と騒ぐのですから、倫理の大安売りです。

自分がもらっているお給料(月給)がどのように決められているのか知っている人ってどの程度いるのだろうか。

私は長い間雇用されていましたが、全然わからなかったです。漠然と学歴が低いと初任給が低いのだなぁということぐらいしかわかりませんでした。ただ、9割以上の中学生が高校に進学し、全く勉強をしなくてもできなくても卒業が可能で(日本はそうですが、学力が基準に達していなければ卒業資格が得られないという国も多いです)、5割以上の高校生が大学に進学し、無試験に近い大学も多く、やはり進級や卒業がそれほど困難ではないなかで、学歴で初任給が決まるというのはなんだかとっても不合理だなぁとも思っていました。

高齢者雇用の総合誌「エルダー」のなかに、賃金・評価制度についての説明がありました。

欧米や新興国では、ブルーカラーやグレードの低い事務・販売・サービス職は時給制の職務給が使われており、ホワイトカラーやマネジャー、エクゼクティブクラスは残業の適用を除外するサラリーと呼ばれる年棒制の成果給が使われている。とあり、職務給の説明が長々とされているが、簡単に言ってしまうと、仕事に賃金をつけるということらしい。

そんなん当たり前やん。と思う人もいれば、ほほーっ、さすがあっちは合理的やなぁ、すっきりしてていいけど、人情が入らないぶんなんか殺伐とした感じがしないでもないと思う人もいるかもしれない。

ところで、最初の説明のところに「ご存じの方も多いと思うが」と書かれているが、ご存じない方が多いと思うので一応説明しておくがほんとだと思う。書くわけにもいかないだろうが…

では、日本はどうかというと、職務給ではなく職能給なのだとか。へーっ。で、それは職務給と何が違うのか?職務給・職能給と言われたって、同じもんじゃないかと思ってしまう。

仕事に賃金をつけるのが職務給だとしたら、職能給というのは、どのような仕事をするかは後回しにして、働く人に賃金をつけるというものらしい。

へーっ。なるほど。でも全然わかりません。

これまた長々と説明があるのですが、細かいというよりも複雑すぎてなにがなんだかわかりません。

仕事ではなく「人」を格付けする能力基準で賃金を決める…

職能等級には、資格型・役職型・職能型などいろんなタイプがあるが、共通するのは、仕事を序列づける職務等級とは対照的に、これらを使って「人の資格序列」を格づけるものである点…

仕事じゃなくて人で賃金を決めるというと、えこひいきとかありそ~、でたらめな評価になるんないの~と思う一方、がんばればなんとかなる的な期待感も持てます。

がんばる環境に恵まれている人には、よさげなかんじです。

ただ、いつかは…という儚い夢がかなわないとわかったときの落胆や取り返しのつかなさが切実ですが。

日本の企業の賃金制度が欧米のような職務型ではなく、がんばればいつかは…の職能型なのは
、それを多くの人が望んでいるからだと思います。

この世はツライところでどうしようもないが、あの世は楽園だ、阿弥陀様のおられる楽園に行けば報われる。ナンマイダ~ナンマイダ~と念仏を唱えて今の苦境には目をつぶる。いつかはきっと…

受け入れられるにはそれなりの素地があるのです。

エルダーは次の号でもっとシンプルな賃金制度を紹介してくれるみたいです。





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