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さくらとひまわりさんのブログに「育児をする女性だけが擁護されるのはおかしい?」というタイトルがあり興味津々で読んでみました。さくらさんが、あるサイトからこのテーマでのコラム執筆を依頼されたそうで、思うところを書いておられます。

さくらさんは女性たちに対してけっこう厳しいことを言っています。

自分自身で経験したことでしか人は物事を判断できない。
権利の裏には義務しかない。
子どもを育てているからと権利を主張すれば、その裏には義務がついてくる。反対もしかり。あの人の代わりに私はこれだけ働いていると権利を主張すれば、その裏にはやはり義務がついてくる。権利主張の先には対立しかない。
大事なのは、お互いがお互いを思いやる気持ち…ということだが、ポイントは「お互いのことを理解しよう」とするのではなく、「お互いの顔」「お互いの大切な人の顔」が感じられる職場づくりをしよう、ということです。

私は今6歳の子どもを育てながら働いているので、仕事と子育ての両立だの、男の育児・家事参加だの、いろいろ偉そうに鼻の穴を膨らませて主張していますが、4年前までは育児には全く無縁でした。実を言えば産んだ経験もありません。

夫婦2人で身勝手な生活を20年近く送った末の育児体験でした。保育や介護の仕事経験があったので、育児については多少わかっているつもりでした。保育所問題や教育問題なども、専門職として親よりもむしろわかっているつもりでいました。

でもいざ3歳の子どもを我が家に迎えてからは、ヒステリックにわめき散らす毎日でした。仕事は当然制限を受けます。家事育児は当然自分が受け持ちです。夫とは事前に、協力してやると話し合っていましたが、うまくいくはずがありません。仕事も育児も失敗続きで、なにもかもを恨みました。なにも協力してくれない夫、不便な保育制度、夫からも世間からも母親として責められているようでイライラのピークでした。

しかし、それでも子どものいなかったときに戻りたいとは思いませんでしたし、仕事に関しても子どもとの時間が取れないとかよりも、多くの働く女性が育児を理由(言い訳)に職責を果たそうとしないことへのいら立ちの方がむしろ強かったです。権利の主張ばかりで義務をすっかり忘れているのでは?と感じることが多かったのです。

今の働く女性に対する政策は、少子化問題と労働問題を解決する目的のためとはいえ、女性同士の対立を生むような気がします。

望んで産んだにせよ、できちゃったでしかたなく産んだにせよ、その生まれた子どもがどのような子どもであろうと、自分と血のつながりがあろうとなかろうと、子どもは私たちのために存在するのではなく、こどもたち自身のためにただ存在しているだけなのです。

教育が国を強くするもっとも有効な方法であるとか、教育は投資であるなどといった考えが根底にあれば、皮肉なことかもしれませんが国は決して強くはならないし、投資のリターンを得ることもないと思います。

女性活躍で湧いた湧いたのニッポンですが、赤い靴をはいた少女のように踊り続けるのだけはカンベンです。
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