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「我々日本人はフランスの人々と常に共にある。強い連携を表明する。テロを断固非難する」

11月に起きたパリの同時テロのときの安倍首相の発言である。

価値観を共有するもの同士として、ごく普通のコメントとは思う。にもかかわらず、なんか不愉快なかんじがするのはなんでだろう。

ドイツのメルケル首相が「私の心はテロの犠牲者とその家族、パリの市民と共にある。我々はフランスと共に泣いている」と言うのはわかる。イギリスのキャメロン首相も同じようなことを言っている。アメリカのオバマ大統領やロシアのプーチン大統領、中国の習国家主席は、テロを許さないとしながらも友だち然とした発言はしていない。

安倍総理の発言はなんか浮いている。

その場の雰囲気とかに酔う人なのかな。

記事を切り抜いたまま放置してあった日経新聞を読みなおしてみて、恐ろしいテロ事件であるにもかかわらず、なにか違和感を覚えてしまうのはなぜだろう、何が気に食わないのか…と考えていた。週刊金曜日にアメリカのジャーナリスト:マイケル・ペンが「パリのテロ事件~命の重さの不平等」という記事を書いていた。

各国からフランスの人々に寄せられた同情と応援は心を打つものだった。だがしかし…

フランスが世界の同情を一身に集めているのは、犯罪の深刻さのためではなく、犠牲になったのが特定の国民だからだという結論に達せざるを得ない。要するに、犠牲者が豊かな西側諸国の、雄弁で高い教育を受けた市民だから、私たちもパリ市民に自分自身を重ね合わせ、共感しやすいのだ。
他の場所でも、時にはパリのテロ以上に極めて悲惨な事件が起きていた。だが、世界の人々の心は揺さぶられなかった。そんな事件の存在さえ気づかないことがしばしばあった。

パリのテロ事件のわずか1日前、まさしく同じテロ集団ISがレバノンの首都ベイルートで自爆攻撃をしかけ、43人が死亡し、200人以上が負傷した。ベイルートの犠牲者はパリの犠牲者同様、無実の市井の人々であったが、果たしてパリのテロと同じように広く報道されたり、事件に心を動かされたと言えるだろうか。

安倍総理の発言への不快感もこのへんにあるのかもしれない。

巷にあふれるテロを許さない!!!という正論への嫌悪感も同じである。
 
他人の痛みは他人事でとんと平気なのだが、自分のこととなると断じて許せず、「上」とみなす者に対しては、許せませんよね~と媚びへつらう、卑屈で傲慢な民族性が露見されていていたたまれない。

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