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対話はきれいごとなのか。

週刊新潮が12月3日号で、報道ステーションの古館さんがテロと空爆を同一視して批判し、その上で「ISとの対話を避けている場合ではない」などと言うが、それならなぜテレ朝の記者をIS支配地域に送り込み、現地から中継をやってみせないのか。このように糾弾していた。コメンテーターがみな対話の重要性を説いているのに対しても「綺麗事文化人」だと言い捨てている。

対話がきれいごとと言うからには、平和安全法制についても言及されているはずと思って読んでみるも、そのことにはまったく触れていない。

対話に持っていくための努力も考えないでとか、簡単に言うが対話にならない相手との対話をどのように進めるのか、日本の平和外交はどのように展開すべきか、どのように理解を促すのか、肝心のことを報ステは言っていないじゃないか、という話でもなかった。

報ステは単にきれいごとを言って、それで名を上げようとしている、売名行為だといったイチャモンだった。

私は報ステ見てないし、実際のところは知らないが、おそらく古館さんもコメンテーターも本気で対話が大事だとは考えていないと思う。

週刊新潮は報ステ(テレ朝)がおためごかしを言っていると批判しているわけだが、新潮の「対話はきれいごと」もおためごかしである。同じ穴のむじなではないか。

対話がきれいごとなら、当然武力でいかなきゃいけないのに、空爆を当然の報復としながら、自国の防衛・武力行使にはまったく言及しないのは、それこそきれいごとのおためごかしではないか。

福祉などの社会保障にカネを使っている場合ではない、防衛費にどんどんカネをつぎ込まないといけない。平和安全法制は使い勝手が悪い、もっと使いやすくしろ、平和がどうとかごねてる公明党をなんとかしろ。なぜそう言わないのか。

週刊新潮は元産経記者の変幻自在だか何だか知らないが、日本以外の国はどこもバカで低俗で悪辣でカスでどっしょもないという、本当にどうしようもないコラムを連載していたが、比較的前の方の大きい記事でもこれではなぁ。書籍が売れないからって、雑誌がこんなんじゃカバーできないよ。






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