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脳トレは認知症の予防に役立つのか?

中高年以上の人には気になる話題だと思います。自分自身のこともですし、親や配偶者の介護などとも関係してきますから。

10年以上前に脳トレが大流行りし、東北大教授(だったっけ?)の川島氏がずいぶんもてはやされ(私も保育関係の集まりで講演を聞きました)その後、脳トレは効果がはっきりしないとか言って袋叩きみたいなかんじになってましたが…

川島さんのお話を直接聞き、世間の流行を横目で眺めていた私としては、当時の中高年が勝手に踊ってただけで、川島さんの主張は極端でもインチキでもなく、事例研究に基づいたちゃんとしたものと思いました。勝手に踊ったんじゃなくて川島に、あるいはゲーム機器メーカーに踊らされたと言う人もいるかもしれませんが…

で、予防に役立つかってことですが、1日30分、クロスワードパズルを週3回行うと、認知症になるリスクが60%まで低下するという研究が、十数年前に有名な科学誌に紹介されているそうで、どうやら数字の示すところでは役立つみたいです。

でも、クロスワードパズルが好きな人には悪いけど、あれ退屈じゃない?一人でやるでしょ?二人でやったらダメってわけじゃないけど、一人でできるじゃない。好きな人はいいんだよ!好みはそれぞれだから!どうしてもわからないときに、ネットで調べたり人に聞いたりして、それも認知症の予防になると思うから。

趣味の中で予防効果が高いのは断トツでチェスらしいです。パズルの3倍の効果だって。欧米の
研究だからチェスだけど、日本なら将棋とか囲碁かな。

どうやら人と関わり合うことが決めてみたいです。

人を誘って対戦する、相手の言動から心を読み取る、ときに相手を思いやる…

私も6歳の娘とオセロや子ども将棋などをよくしますが、ほんとこまごまといろんなことを考えたり、何も考えずに自分がさっさと勝って、娘がへそを曲げて時間を浪費したり、ゲームと関係ないことで駆け引きをしたり…

高齢者の保養施設に行くと、おじいさんたちがかたまって囲碁やら将棋やらをしています。壁の張り紙には、必ず後片付けをすること!と並んで、他人の勝負には口出し厳禁!と書かれています。自分はやらなくても人のを見ていると、口出ししたくなるんですね…きっと大ゲンカになったことがあったんでしょうね…

やらないよりは一人ででも脳トレはやったほうがいいみたいですが、対戦相手がいたらもっと効果が大きいということです!

仕事の能力・技術も同じですね!

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6歳の娘は寝る前にいつもおはなしを読んでくれる。こないだはなぜか歌だった。「母と子のおやすみまえの小さなお話」の最初のほうに桃太郎やウサギとカメなどの歌がのっている。これらの歌は歌自体がお話になっている。

もーもたろさん、ももたろさん、お腰につけたきび団子一つ私にくださいな。
やーりましょう、やりましょう…

あれっ?と思った。

私はこの部分「あげましょう」で覚えていたが。それに、「一度に攻めて攻め破り、つぶしてしまえ鬼ヶ島」だの「面白い面白い残らず鬼をせめ伏せて、分捕りものをえんやらや」「ばんばんざいばんばんざい、お供の犬やさる雉は勇んで車をえんやらや」

なんか聞いていて嫌な気分になる歌です。

自分が覚えていたのはこんな歌詞だったっけ?1~2だい目あたりまでしか知らなかっただけなのか。

去年ストレスチェックのセミナーを受けたときに、講師の精神科医師からちょっとした質問がありました。ある宇宙飛行士の最終試験で出されたのが、浦島太郎と桃太郎のどっちが好きかという質問だったそうで、みなさんはどうですかというものでした。セミナー受講生の大多数が桃太郎が好きでした。私はなんとなく桃太郎の勧善懲悪に胡散臭いインチキくさいものを感じていたので、浦島太郎を選びました。

宇宙飛行士に選ばれたのは浦島太郎を選んだ人だそうです。

それはさておき。

気になり調べてみました。

最初はやはりあげましょうになっていたみたいです。しかし「あげる」は「やる」の謙譲語であり、家来である(動物でもあるな)犬サル雉に謙譲語を使うのはおかしいとして、やりましょうに統一されたとか。

花に水をあげる、ペットにエサをあげるもおかしいとして、「やる」を使うよう指導するというのを聞いたことがあるな。

それはまあいいが、桃太郎はどうも勧善懲悪ストーリーというわけではないみたいだ。

勝てば官軍ストーリーかもしれない。

鬼の征伐についていくなら(きび団子を)やりましょう…って、物で釣ってるわけだな。ついて来るならが正しい使い方じゃないか?というツッコミもありますし…

攻め破りつぶしてしまえ鬼ヶ島…って、大義名分は人々を苦しめる鬼退治だが、ほんとの狙いは鬼の所有する宝だろう?

残らず鬼をせめ伏せて分捕りものをえんやこら…って、分捕るってのは人の物を力づくで横取りするってことだろ?大義名分を掲げりゃ何をしてもいいというのか?

しまいには、お供の犬サル雉まで勇んで天狗になっちゃって…

しかもおじいさんおばあさんなど身内で宝をひとりじめしてさ。

桃太郎物語って、いけ好かないではないか!!

福沢諭吉は桃太郎を厳しく批判しています。

桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者である。また、もしその鬼が悪者であって世の中に害を成すことがあれば、桃太郎の勇気においてこれを懲らしめることはとても良いことだけれども、宝を獲って家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとなれば、これはただ欲のための行為であり、大変に卑劣である(ウィキペディア)

桃太郎の鬼退治にはどーもよからぬ目的があったのでは?という疑問は今でもあり、模擬裁判やディベートの議題になることもあるとか。

余談ですが、年末のテレビ番組で、裁判員制度の説明をカチカチ山でやってました…






10人以上従業員を雇っている会社は作成して届出なければならないとされている、ほれ、あの「就業規則」ってやつ、あれは結局のところ、会社は従業員に読ませたいのだろうか、それとも読ませたくないのだろうか。

少なくとも作成や変更を依頼された社会保険労務士は、従業員に読んでもらいたいとは考えていないにちがいない。(おそらく社長とかにも…)チラシでもパンフレットでも参考書やテキストの類でも、小説などならもちろん、読んでもらいたい!と思っているなら、相手が読みやすいように書くはずである。結果としてまずい(読みにくい、読む気が起こらない)出来だったとしても、相手のことを慮った跡ぐらいは見える。

しかし就業規則にはそれがまったくない。

就業規則を社員がちっとも読まない、そういう声を経営者や人事担当者から聞くことが多いと思うが、必要だしがんばって読むか!と意を決して取り組んだところで頓挫する。長いからとか、それだけではない。たったの1ページ半ほどでもバタンと閉じて永久に見たくないものだってある。

読ませたくない。それしか考えられない。

なんで読ませたくないのか?

労使トラブルで裁判になった時に負けないために就業規則を作るからか?そういうふれこみで労務コンサルタントなどが関与するからか?従業員の労働条件が書かれていて、有給休暇などを主張されたら困るからか?

法律を真似た形式でなければならないという決まりもないのに、カッコ書きでタイトルを書き(旧統計法が見出し付きのはしりだそうです。労働基準法はちょっとの差で2位になっています)わかる人にはわかるが、わからない人は何べん読んでもわからないへんてこりんな文章や、読めもしない漢字の接続詞を使い、ルールに従って書かれているのかどうかもわからない法律様式の規定集が就業規則の大半である。

法律はルールや背景を知らないで何百ぺん目を凝らして読んだところで何一つ理解できない。就業規則もそうなのか?

最近自分のルーツをたどることが流行っているようで、家系図づくりが人気だそうだ。昔の戸籍や蔵や寺に残っている古文書が読めずに困っている人のために、古文書の読み方講座があるそうだ。大人気だとか。

就業規則も従業員のための読み方講座が必要なのか?

読ませたくないいじょう、なるべくその存在を隠し、万一見つかってもとても読めないような古文書法律様式にしてしまう…

従業員向けに「就業規則の読み方教えます。ご法度行為、権利の行使のしかたがわかります」という市民講座があったらいいかもしれない。

社会学者の古市憲寿氏が、ハーフだかニューハーフだかは劣化が早いとか言って非難されてるみたいです。テレビのワイドショーでの発言だったそうですが、いまだにネットでくすぶり続けているとか。「劣化」はモノに使う言葉であり、ハーフを(ニューハーフか?この辺はっきりしないのですが…)モノ扱いしているのがヒドイ、差別的、失礼とかなんとか…

「炎上」によって、世間の人たちがどのようなことを許せない!と思っているのかがわかるところが面白い。何に対して激高するのか、噛みつくのか、神経を逆立てるのか…

世事に疎いのであまり事例は思いつかないが、最近だと社員をうつ病にして退職に追い込むとか、1年以上前になるが、自分の子どもの入学式(高校)に出るために勤務先の高校の入学式に欠席した教師(担任だった)に対し、教育評論家の尾木氏が教師失格と言ったこととか。

あたかも自分の生活や人生が否定されたような気分になるのだろうか。

自分の「気持ち」「思い」といったものを傷つけられたような気持ちになるのだろうか。

弱者への共感に満ちた優しい社会のようにも見えるが…

この炎上社会一見反社会的なものを許さない民衆の正義のように思えるのだが。

正義の鉄拳なのか?

うつ病指南社労士は処分を受けて(処分の内容は理解されていないだろうが)多くの人は溜飲を下げているだろう。もう話題に上っていない。

古市さんはあんな調子だから制裁を受けてもあんまし反省の色もなく、多くの人は溜飲を下げられずスカッとしないだろうな…

新幹線のおかげで新しくなった駅構内には居場所がない。特に改札口の内側・ホームは座るところがなく、最初やや困惑し、今では駅とはそういうところなのだと諦めていいる。

かつて、ファーストフード店は食べる飲むの用事が済んだらさっさと席を立つ回転のいい場所だったが、今では行く所のない人・居場所のない人が100円のコーヒー1杯で何時間もねばる場所になっている。

駅はその昔、多くの人が集う場所だった。行く所のない人たちに待合室の席を占領され、腹立たしいときもあった。彼らは駅から締め出され駅は清潔になったが、駅でひとときを過ごす人も締め出されてしまった。

駅は雑踏となった。マイホームという建物も雑踏になった。

みんなどこで過ごしているのだろうか。

駅(電車も)は過ごすところではないと言われそうだが、私にとっては我が家の延長のような場所だった。

鉄子だった私は始発から最終まで20時間近く電車に乗っていることが多かった。青春18切符を利用して延々と電車に乗っていた。電車の乗り継ぎ以外の計画は立てないので、夜半過ぎにお金も泊まるところもなく、戸のない山奥の駅で一夜を過ごしたこともある。いつもひざ掛け毛布を持参していたので苦もないと思っていた。ある年の3月のはじめ、まだ氷点下のときもある時期だった。待合室で一夜を過ごすらしいとわかったJRの職員が国鉄の分厚い毛布を貸してくれた。ひざ掛け毛布をもっていたので、大丈夫ですよ、ありがとうございますと遠慮したのだが、使うべし!!と押しつけて行った。

たっぷり時間があるので本がゆっくり読める!と喜んでいたのも束の間、寒気でただ座っているだけが精一杯となった。

国鉄の分厚い毛布がなかったらとてもあの夜は過ごせなかった。

私に最後の望みをかけていたタクシー運転手が「なぁ、ほんまにここにおるの?サウナ行かへんの?ちょっと料金まけるで」と営業をかけたが、カネもなく断るとしょんぼりと引き上げて行った。その人がその夜に見た最後の人だった。

始発電車に暖房が入るとJRの職員が知らせに来てくれた。電車の中は我が家のように温かく居心地がよかった。

古き良き時代のおはなしでした。

今度は海外でチャレンジするか。なんてったって、日本全国第三セクターだらけで青春18切符も使いにくいしな…


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