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鼻をかんだ後のティッシュペーパーやお尻を拭いた後のトイレットペーパーをたいていの人は捨てていると思うのだが、罪悪感があるだろうか。おそらく何も感じていないと思う。いや確信。使い捨てであるが、けしからん!と憤る人はいないはずだ。

不要なものは捨てる。これ当然。昔の白黒映画などをみると、鼻をかむのにハンカチを使ってポケットや着物のどこぞにしまい込んでいるが、これは洗って再使用ができるからである。葉っぱやその辺のいらぬ紙を使用した場合は現代と同様に捨てていたはずである。

先進国では使い捨ての物が非常に多く、昔の人はそれをよく嘆いていた。私の父もそうだった。だが、使い捨ての物は廉価である。持ちが悪いという点では粗悪品である。ティッシュペーパーは鼻をかむ瞬間においてはなかなかの品質だが、リサイクルに適さず刹那的だ。残す価値のあるものは捨てられない。使い捨てに抵抗感がある人は品質の良いものを長く使えばよいのである。

目的を果たせば不要になるものや、再使用に適さないものは使い捨てられる。特に嘆かわしいことでもなさそうだが、使い捨てるものが「人」になるとことはそう単純ではなくなる。

人の使い捨てとはどういうことなのか。

何年何十年にわたり、何回何十回と契約更新をした後に(自動更新の場合が多い)、契約期間の終了・満了などと言って雇い止めにすることを「使い捨て」と言ったりする。もちろん、主張するのは従業員側で、会社側はあくまでも契約終了なので、使い捨てなどではないと反論している。

さて、このような場合従業員は使い捨てられたのだろうか。そしてその使い捨ては許されざる悪行なのであろうか。

何回更新したかとか、何年働いたかとかはこの際横に置いといて、不要なものや再使用に適さないものならば使い捨てたって問題はないはずだが、いや人道的・倫理的に問題あるか…それも横に置いといて(とりあえず!)そもそも不要であるか・再使用に適さないかなどの判断がなされていないことが問題なのではないか。

物を捨てるように人を捨てるなんて…という恨み節はその点ちょっと待て、それは少し違うのではないか、と思う。物を使い捨てるのはいいが、人間を使い捨てるのはけしからん!というのでは物を作ってる人が浮かばれないじゃないか。結局物を粗末にすれば人を粗末にすることになるのだ。

精神的な事柄を俎上にのせて、なんとなくのいい気分を味わうのが好きな人たちは、「人を大事にする」とか「人の使い捨てを許さない」とか言うが、物の扱い方と人の扱い方は同じである。どれだけ口では「人が大事」と言ったところで、物を大事にしない人・会社は人も物同様に粗末に扱う。

物は意志や感情を持たないので使い捨てられても文句を言わないが、人間はそうではない。しかし、感情的になってみても解決にはならない。使い捨てであろうがなかろうが、雇い止めが合理的かどうかを冷静に判断しなければならない。



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今年の年末年始はあっというまだった。短かった。すぐに終わった。このような声を何人もの人から聞きました。

さいしょカン違いして「年取ったら時間経つの早いですからね~。来年はもっと早いですよ」などと応えてヘンな顔をされました。

去年の12月29日は火曜日で、今年の1月3日が日曜日なので6日間しか休みがなかったということなんですね。調べてみたら一昨年は7日間、その前は8日間でした。

全然気づかなかった。

そう言えば、仕事が恋しくならなかったなぁとちょっと不思議に思ったくらいです。いつもはあれをしようこれをしよう、いやのんびりしようと楽しみにしていた年末年始の休暇も終わりごろには、子どもとずーっと一緒にいることに飽きてきて、早くいつものペース(親仕事・子ども保育所)に戻りたいと思っていたのです。

ただどの年も休暇が何日なんて数えたことなんてなかったです。

子どもとの生活が始まる前は、世間の休暇とは無縁だったので適当に休みを取って、好きなことをしていました。世間並みの休暇を取るようになって思ったのは、とても不便で窮屈だということです。親戚や知人友人と会いやすくなったというメリットは多少あるものの、せっかくの休暇を不満と疲れで消費してしまいかねません。多くの日本人にとって年末年始の1週間程度の休暇や4月末から5月にかけてのやはり1週間程度の休暇(それとお盆の3日間ぐらいか)に、商業施設でお金を使ったり、慌ただしく国内外の観光地を巡ることが主な休暇の過ごし方なので、この時期ちょっとした用事で出かけると混乱に巻き込まれ、思わぬ時間をくったりします。なので、わざわざ外さないといけないのです。

休暇の時期は商業施設とは反対に仕事関連は空いてます。この時期に仕事したらはかどるだろうなぁと思います。

官庁や公共施設やってほしいです。

休暇を奪うとか、人権侵害とか持ち出されるのかなぁ。特別料金とか言いだすのかなぁ。

商業施設は営業しているのに、官庁や公共施設が休まなきゃいけない理由ってなんだろう?多くの会社が休む理由は?病院や福祉施設、消防署や警察など、古くから24時間365日稼働の事業はその必要性から存在するが、商業施設もやはり多くの人が時間を消費する場所としてなくてはならなくなったのか。

それと、カレンダーみて気づいたけど、祝日が増えている。山の日とか。海の日、みどりの日とか、祝日って何かを祝うための国民のための休日だと思っていたけど。産業の大半を占めるサービス業は休みじゃなくてむしろ稼ぎ時なのに祝日?ワークライフバランスだ、有給休暇だと掛け声がかしましいが、なんか転倒してないか?

今年度早く終わんないかなぁ…
国会議員夫妻が揃って育休を取ることに対し、世間では賛否両論やんややんやの大喝采…じゃなかった大論争(大騒動か?)が巻き起こっているようです。

国会議員夫妻の育休取得をニュースでチラッと聞いたときは、ふーん国会議員も雇用保険加入してたっけ?とボケたことをぼんやり考えただけでした。

蓮舫氏が「国会議員がすべきことは夫婦そろって給与全額保証の育休を優雅に取ることではなく、現実に向き合っている人を法改正で守ること」などとツイートして、論争に拍車がかかったみたいです。

優雅に育休ですって~~!!キーーーーーーッツ!許せない!女の敵!
国会議員だって育休取る権利ある!男が育休取るなんてサイコー!それが理解できないなんてあんたバカじゃねーの!
国会議員でさえ育休取るのにこんなに非難されるようじゃ民間に広がるわけがない!

女性活躍・男女平等・男女共同参画がもてはやされる昨今ですから、賛成派はブイブイの勢いですが、一方の反対派は、迷惑かからないように良識ある判断を…とか、立場上国会の会期中というのはよくないのでは…とかなんか歯切れが悪いです。

くだんの夫婦はお似合いのカップルだとかで、新婚さんのようです。菅官房長官は披露宴の席で、育休の議員立法作ったらいいとかなんとか言ったみたいで、今になってツッコまれて「ご祝儀発言」とか言い訳して、どうでもいい話なのでダラくさいです。

ところで、なんか似たような炎上騒ぎが前にもあったような…

50代の高校教諭が勤務する学校の入学式を欠席し(新入生の担任ですよー)自分の子どもの入学式に出席したやつです。これも賛否両論すごかったですが、教育評論家の尾木ママこと尾木直樹氏が、教師としてあるまじきことと発言したことに対し、キーーーーーーッツ、尾木ママは味方だと思ってたのに!女の敵!ガッカリ!有給休暇は労働者の権利だ!家庭を犠牲にしてまで働かなくてはいけないなんて学校はブッラク企業か!!などのコメントがブログに殺到し、大炎上。尾木氏は相当凹んだようです。

尾木氏への反論は転倒しています。この事件に労働法は関係ありません。


今回の国会議員夫妻の育休騒ぎも同様の匂いがクンクンく~ん。

育休の問題なのか。

国会議員の待遇や果たすべき義務の問題と、労働現場における慣行の問題などがいっしょくたにされて、なんか大事なことがうやむやにされているような…

育休国会議員夫婦には相手に斟酌する、相手の立場を慮るという意識が完全に欠如していると思われます。どような立場であれ子どもを育てるために休暇を取ることを妨げられるものではありませんが、それにしてもあまりに無神経に過ぎる、よく言えば無垢なのでしょうか。
我が家の四方は半分が畑と空き地、半分がよそ様宅である。お隣さんやお向かいさん、筋向いさんなど5軒ほどのご近所さんがある。
 
ご近所さんとはほどよい距離を保ちつつ、親密な関係でありたいと思いながらも、せいぜい挨拶を交わす程度で、親密からは程遠い。もっと身近なお付き合いをするというのが今後の課題である。

だが、もしもご近所さんとの間でなんらかのトラブルが起きて、非常に険悪な仲になってしまったらどうであろうか。ちょっと庭先に出るにも警戒しなければならなくなり、日常生活はストレスに満ち苦痛であると思う。

親密な付き合いをすれば、その分摩擦は大小起きてくるものである。我が家のことに介入してくる人もいるだろう。よかれと思ってやる人もいれば、悪意を持ってやる人もいるかもしれない。利害がからむこともあるだろう。皆がそれぞれの思惑を持って動けば思惑同士がぶつかり、対立することもある。

なんだかあの人たち大変なことになっている。少し離れた家の人たちが心配して、仲裁に入ってくれたらもつれにもつれた糸が少しほぐれるかもしれない。お隣さん同士仲良くしなきゃいけないよ。お互いにそれぞれの思いはあるだろうが、遠くの親戚より近くのご近所さん。いざというときに頼りになるのは地域の人だよ。そう言ってそれぞれの言い分を聞いたうえで、こういうのはどうかな?と提案してくれる。

だがもしも、周りの人たちが「あ~あ、やってるやってる。バカじゃね。醜い争いだね。くだらないことでケンカしてるわ。ああはなりたくない。自分たちは違う」と、高みの見物を決め込んでいたら…

あるいは、なにかたくらみがあって紛争を利用して介入してきたら…わざと対立感情を煽るようなことを言ったり、新たなトラブルの種を植え付けたりして、ある人はAさんの味方をして、ある人はBさんの味方をする。両者はもっともらしいことを言ってはいるが、Aさんの利益もBさんの利益も考えていない。自分の利益のためにAB紛争を利用しているだけ。

紛争利用よりは高みの見物の方がいくらかマシだろうか。否、同じ。

中東は遠く離れた場所で、そこでドンパチやっているのは自分にはなんの関係もない人間たちばかり。宗教対立だ宗派対立だ、利権争いだともっともらしく解説してみせてはいるが、当事者ではない自分たちが果たすべき使命はなんなのか、ただ傍観するだけなのか。

お隣さん同士、人種や民族、信じる宗教が違っても仲良くしないことには厳しい人生を乗り越えていけない。グローバルというなら平和だってグローバルじゃなきゃ。

グローバル時代の親しい人とは地球上のすべての人ではないか。

グローバルグローバルと鼻の穴を膨らませてグローバルを主張しておきながら、グローバルな戦争に傍観を決め込むようではご都合グローバルと言われても仕方がないですよ。

ご近所トラブル経験者は語る…


就業規則の人事異動のところに「転籍」の規定が記載されているものがある。配置転換や出向と並べてあるが、移籍出向なので従業員の同意が必要である。現状の労働契約を解消して新たな契約を締結するので、会社の一方的な命令ではできないということが一般に知れ渡ってきたようだ。

そこで、「同意」の言葉が盛り込まれているわけである。たぶん。会社は転籍を命じることができる。その際は従業員の同意を得ることとする。というふうになっている。

しかしだ。

「同意」を得て行う「命令」とはいかなるものなのか?

同意と命令は1軒のお家に同居できるのか?

転籍だけが命令だけど同意が必要なのか?

命令を調べてみると、上の者が下のものにあることをするよう言いつけることとなっている。他に行政処分や法律などに関連したものがでてくる。

どうも「これだ!」というようなはっきりしたものではないようだ。和をもって貴し精神の日本においては、命令といってもそれほど強固なものではなく、配転にしたって、同意を求めていたりする。断るわけがない、という前提のもとに「命令」し「同意」を求めているのかもしれない。なので、あっさり「はいわかりました。承知しました。」などと言うとかえって、ほんとにいいの?希望はないの?などと聞かれたりする。命令という形式を取ってはいるが、ぐだぐだ言えば少し配慮するよといった程度の余地はある。

とても日本的でのほほんとしている。裁判などという日本的でないものに遭遇しなければこの曖昧ななあなあ規定は悪くない。

裁判になっても勝てるような、そんな就業規則を作ろう!と、がんばっている社長さんやそれをプッシュする労務コンサルタントは立派だが、ご立派すぎて…というかんじもしなくはない。

第三者(お上)に裁いてもらえば、勝てばそれみたことかと鼻高々だが、負ければ口惜しい~~~キーッとなるものです。

話し合いとは単なる形式のことなのか、キレイごとを言うのか。労働条件に疑問があっても会社に聞くことさえできない一方で、行政に訴えに行ったり訴訟を起こしたりすることが、毅然とした強い態度なのか。

アッ…

同意と命令ってちょっとおかしいんじゃないの!!という主張をするはずが、日本の労働現場ではそれほどおかしいことではないのかもしれない…という考えに変わってしまった…

ところで、同意命令というのがアメリカの公正取引法のところにありました。Consent Orderとなってます。えーっとどういうものかと言いますとね…

公正取引委員会のサイトに載ってます!

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